琴古流秘曲「鹿の遠音」(連管音源)
石川利光氏との連管演奏
貴志清一
地歌の三曲合奏では拍節が割合はっきりしていますので琴古流譜で音の長さを決めるゴマ点は必要かも知れません。
しかし本来、奏者の心の内の生命のリズムとも言うべき流れの中で演奏する尺八本曲は決して時間的な決まったゴマ点の拍とは別のものです。
音楽は音ですから耳で聴く芸術ですので尺八本曲は師から弟子へ口移しに伝承されるべきもので、譜面はあったとしても覚え書き・メモのようなものです。それを目安とは言えゴマ点を振って本曲を硬直化させて、
「琴古流本曲は36曲すべて同じに聞こえる」という弊害をもたらしたのが三浦琴童譜・琴古流本曲譜です。
その琴古流を42年間やってきた私は他流の演奏も研究するのですが、海童道の本曲CD(LPの復刻)の
「手向」や「三谷」を初めて聴いたときは衝撃を受けました。
「こんな自由な本曲があるのか!」という驚きでした。
江戸時代の虚無僧が吹いてきた各地の尺八本曲は本来、楽譜で表されたものではありませんでした。九州宇土藩の尺八愛好家の殿様・
月翁の残した文献を見ても楽譜はだいたいメモ書きのようなものです。もちろんゴマ点などどこにもついていません。(1700年代後半)
そこで考えられることは、琴古流本曲は各曲ごとに個性があったのではないかということです。本曲を聞き始めたとき、
「あっ、瀧落の曲だ」「これは恋慕流し」等々。
明治以後の国家的規模の西洋音楽推進政策の波に尺八本曲も押されていくのですが、「夕暮の曲」や「下り葉」、「鶴の巣籠」など数曲以外は同工異曲となってしまった中で唯一吹き継がれていくことによってこの弊害を免れたのが「鹿の遠音」でした。
私が師の松村蓬盟先生に習ったとき、この「鹿の遠音」だけは楽譜にゴマ点があるのかないのか全く気にならず、只ひたすら師匠に吹いて貰ったことを真似しました。
大袈裟かも知れませんが、
2019.11.10の演奏会で連管して頂いた石川氏よりの国際尺八研修館版「鹿の遠音」譜を見ますと、何とゴマ点がないのです。拍節的に掛け合うところだけ申し訳程度にゴマ点があるだけです。これには驚きました。
もちろん鹿の遠音は暗譜していますから永らく琴古譜を見ていなかったのがその原因ですが、ここにきて改めて古典本曲の学び方、すなわち
「師匠の吹いた通りに真似する」ということの大切さを再確認したわけです。
国際尺八研修館を創設されたのは横山勝也氏です。師は琴古流尺八の出ですので三浦琴童譜には親しんでいたはずです。その譜を踏襲しないで本曲本来のゴマ点を抜いた譜で「鹿の遠音」を書き表したと言うことのすごさ、横山勝也氏のすばらしさをこの時しみじみと実感しました。
このゴマ点のない鹿の遠音譜の感激の中で2019.11.10のコンサートがやってきました。
二人の奏者が応答し合い、重なり合いながら音楽を作っていく楽しさがこの「鹿の遠音」にあります。
当日は横山勝也氏の高弟で国際的にも評価の高い
石川利光氏との連管で吹かせて頂きたいへん良い勉強になりました。
曲の最後の方で会場からケータイ電話が鳴ってしまいましたが二人とも動ずることなく淡淡と吹き通しました。
最初に石川氏に出てもらい、その後を私が追いかけると言う形での演奏です。どうか一度当日の録音をお聴き頂ければ幸いです。
参考までに以下、三浦琴童譜、国際尺八研修館譜(部分)をご覧下さい。
◇三浦琴童譜
◇国際尺八研修館譜(部分)