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HP会報 325号
(2016年2月8日付け)
竹に恨みは数々ござる 貴志清一
竹に恨みは数々ござる
初心の竹を買う時は粗悪管でも
師匠「はいこれ10万円」と申すなり
一尺六寸 買う時は もったいないから木管買って
滅法鳴らないことになり
次に買った八寸管 幸い響きはすばらしく 糸方滅巳(めつち)ゃ褒めるなり
人生の 入相になり 地無しを求め 運が良く
寂滅為楽の響きの竹三昧
"その性能、ほんとに地無し?"と驚く人もあり
我も竹選びの雲晴れて 真如の月を眺め明かさん
いきなり長唄『京鹿の子娘道成寺』の真似をしましたが、これがほぼ40年間の竹との付き合いです。
昭和53年(1978)に邦楽番組にも出演していたI先生に入門しました。民謡の先生から譲っていただいた一尺七寸管では稽古にならないとい
うことで「楽器を用意してあげる」とのお話でした。楽器は楽器店買うものと思っていましたが上手なプロの先生ということで楽しみにしていました。次のお稽
古の時、
「はい、これ、君のです。10万円です。山本邦山も使っている製管師の竹です。」ということで2,3本の中から選ぶのかなと考える暇も無く、
「ありがとうございます」と押し頂きました。
当時、就職浪人でアルバイトのわずなか収入しかなかったので厳しい額でした。
さあ自分の一尺八寸が手に入ったということで、閑があれば音出し練習をしていました。当時は山歩きにも凝っていましたのでリュックに竹を押し込んで回りにハイカーのいないのを確認して尺八を吹いていました。
自分ではかなりの時間をかけたつもりなのですが、どうも音が出にくいなあと感じていました。
今から考えますと、その竹は4つの指孔の線と歌口のエッジが直角に交わらないで、左に歌口が傾いていたのが大きな原因だったと思います。
fig.1
尺八をまっすぐ自然に持ったとき、口はほぼ水平なのに歌口が左にかなり傾いていれば当然音は出にくくなります。
しかし、初心者の私は「自分の努力が足りないのだ。自分の才能が乏しいのだ。」と考えていました。
2年ほどI先生のところへ月に3回ほど通ったのですが「音があまりにも出にくく上達しない」と言うことで、思い切って、
「どんなにしたら、尺八を吹けるようになるのですか」と質問しました。お稽古を待っている師範、大師範の方達は「失礼な奴だ」と思ったのでしょう、一瞬部屋に緊張が走りました。
I 先生は一言、
「吹いているうちに、慣れてきます。」とのこと。
若気の至りだと思うのですが、心の中で「自分としてはしっかり2年間吹いてきたのに全く慣れてこないから質問しているのでしょう!」と憤りすら感じました。
この一言できっぱりとその先生の所はやめました。尺八の音色が好きでしたから、お稽古と社中はやめたのですが自分なりに歌謡曲などは吹いてい
ました。しかし、我流では回り道ばかりで時間をかけた割には全くといっていいほど上達しません。また知っている吹きやすい歌謡曲だけではどうしても習得し
たかった「鹿の遠音」などは夢の又夢でした。
しかし世の中というのは不思議なもので、何かを真剣に求めて動き回っている内にチャンスというものが巡ってくるものですね。
およそ音楽に縁の無い学生時代の友人に仕事の研修でばったり出会い話が尺八に及び、それならということで友人の習っている琴古流の先生の門を叩くことになりました。
琴古流なら「鹿の遠音」が、いつか吹けるようになるということでまた一からきちんと真剣に練習を始めました。
そのうちに竹の交流範囲が広がり現代邦楽グループにも参加させていただきました。もちろん上手くはなかったので(鳴り物)が入るときは尺八を吹かず打楽器奏者になりました。
そしてだんだん先輩の尺八奏者の影響で良い竹がほしくなりました。私は駆け出しの尺八吹きでしたが、幸い優秀な製管師・小林一城師と顔見知りになりその縁で音色の良い一尺八寸管を手にすることができました。
当時の月収の2倍以上の値段でしたがそれだけの価値のある竹でした。一つの音の中に〈良い響きの片鱗〉が含まれているのです。すると吹いてい
る内に、その〈良い響き〉をもっと追求したくなります。それは〈吹いていて、吹き飽きない〉ことを意味し結果的には練習時間の増大、ひいては上達へとつな
がります。
上手くは吹けなかったのですが小さな演奏会に単管で出させていただいた時、おべんちゃらだと思うのですが「いい音ですね。いい音色でした。」
とよく言われました。まだ若いときですので琴の女性の方々の言葉は大きな練習の励みになりました。音楽的な情熱からではなく、低次元の自己顕示欲のしから
しむるところです。
それでもそれが切っ掛けになって尺八の奥深さを気づくようになったのですから、あながち悪いことではなかったと思っています。
一城銘の良くできた高級管に教えられることは多かったです。
翻って考えますと、初めに使っていた歌口の線が左にずれた竹は何だったのでしょう。
いまでも私は吹くときに首をやや左に傾けます。これは最初の竹が傾いていたからかもしれません。4つの指孔の線と歌口が直角の〈普通の〉竹を
吹いていたら、もっと素直に音が出て練習も効果的に行えたかもしれません。少なくとも、I師はこの竹を試奏したのでしょうか。せめて歌口がずれていたら、
「持ち方は不自然になるけれども上部管を右にねじって吹きなさい」というアドバイスをしなければならないでしょう。
粗悪管を「はい、これ君の」と押しつけて「音がいつまでたっても出にくいのです」と訴えたとき、「吹いている内に慣れてくるよ」では詐欺に近いのではないでしょうか。
私のこの苦い経験から、弟子の竹選びの時はこういう無責任なことはしないように肝に銘じています。
もう一つ、六寸管ですが、これは私の経済的な事情でどうすることもできなかった話です。一尺八寸管では「春の海」は吹けません。やはり一尺六
寸管がいります。これもその当時のことですが、とてもきちんとした六寸管を購入する余裕がなく、しかたなく木管を吹いていました。確か楓材だったと思いま
す。竹のように音に粘りがなく、吹いていて〈長く吹きたい〉音色ではありませんでした。もちろん鳴りも良くなかったです。それでも「春の海」を吹きたく練
習して一度発表会で吹いたこともあります。しかし響かないということで辛い思いをしました。歌口は水牛ではなくマジックのようなもので塗っただけ、また、
中は漆ではなく赤い塗料を塗っただけ。これでは尺八らしい音が出るわけないですね。
それからしばらくして、頑張って銀巻ですが、竹の一尺六寸管を手にし、やっと竹の音で「春の海」が演奏できるようになりました。
ただ一尺六寸管は「圧力をかけると耳鳴りを起こす」自分自身との戦いが30年余り続きました。これは高級管とか練習管とかの問題ではなく、自分の体の問題でした。このことは
No.225に詳しく書いていますのでご覧下さい。
いずれにしても六寸管をしっかり練習できるようになったのが、今から2年前なのです。六寸管を吹くことが好きな尺八歴38年の奏者がしっかり 練習できるようになったのが36年目という悲惨な物語です。No.225に確か「過去は問うまい」とか何とか書いています。尺八は本当に苦労の多いものだ
と思います。
その後、7年前にそれ以前から気になっていた地塗り尺八の「ジュワー」という音色に敏感に反応しだして、幸い最高の製管師・二代目河野玉水師に節残しの地無し管を作ってもらえた僥倖は以前に述べたとおりです。
No.158をご覧下さい。
今は地無一尺八寸管と地塗り一尺六寸管の2管を吹いています。吹いていると言うよりは「格闘している」と言った方がいい時もあります。それは「なかなか、思うような音、思うようなコントロール」で吹けないからです。
一人の尺八愛好家としては、竹に恵まれたすぎた有り難さを忘れずに日々吹き続けていきたいと思っています。