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会報2008年10月号
玉水銘〈地無し延べ竹ごろ節有りドンピシャ一尺八寸管」2本作っていただきました。
貴志清一

 会報2008年7月号の中で、以下の文章がありましたね。

・・・・・・、「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」で現代管に近い性能の尺八を誰かに作ってもらうしかありません。でも、実際そういうことは可能なのでしょうか。
 可能性がないというわけではありません。もしかすると作ってくれるかも知れないとの期待があります。・・・・・・

 世の中は不思議な物で、何か心に強く念じているとその気持ちが磁石のようにいろんな物を引きつけ、最終的には本人も予期しない展開を経て実現するということがあります。今回はその典型的な形で念願の「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」しかもドンピシャで現代管にも優る一尺八寸管が2本手に入手できました。 

 私自身は数年前に 前島竹堂氏のご好意で「古鏡」等を使った「古管演奏会」を開催いたしましたし、ブッコ抜きの延べ竹を時折吹いていることは前回にも述べました。しかし、今の時点の製作で自分の吹き料としての地無し延べ竹ごろ節有りの尺八が入手できるとは夢にも思っていませんでした。

 そもそも、日本にある程度の数の製管師さんはいらっしゃいますが、地無し管をきわめて高い製管水準で製作できる方はほとんどいないのではないでしょうか。性能のいい現代管を作る方はそこそこいると思いますが。 ところが不思議な巡り合わせでその夢が現実になりました。 個人的な体験ですが、地無し管の音色、吹き心地、乙ロの大メリ等に価値をおく方々の参考になると思いますので、その経過をかいつまんで述べさせていただきます。

 そもそもの始まりはここ2,3年来の自分の地有り現代管の音色の不満でした。高い水準のしっかりした竹ですので律も良いし音色も最近よく見かける「鳴り過ぎる」尺八でもないのですが、音に深みが少ないのです。そして息を入れていけば“飽和状態”まで鳴ってしまいます。初心者や中習者の方にとっては垂涎の竹なのでしょうが、それが私にとっては不満でした。深みのある音が鳴らないのは〈そういう深い音を鳴らせない自分が悪いのだ〉と思っていました。挙げ句の果て〈吹く意欲〉さえも失いそうでした。どうしても教えていもらいたいという人が月に2人ほどいらっしゃいますし、自分の演奏会も年に2回ほど自分への課題として開催していますので勿論毎日吹いてはいましたが。

 そういう気持ちで日々を送っていましたとき志村氏の「古管尺八の楽器学」という本に出会いました。その中には私も吹いたことのある「古鏡」のデータや、ご丁寧なお手紙を頂いた 故戸谷師のお話などが載っていました。改めて「虚無僧尺八製管秘伝」を読みますと、わたくしの80年ほど前の地無し延べ竹が“安物のブッコ抜き”であることが分かりました。しかし、「安物のブッコ抜きであっても、音色は節のない現代管より格段に良い」と有りました。また、「地無し尺八」はすぐ鳴る物ではなく、練習によって「息の道」を見つけなければならないとも書いてありました。 さっそく今まで鳴らない物だと決めつけていたその“ブッコ抜き”に取り組みました。何週間後でしょうか、不思議と息の道が少し見えてきました。もちろん出すのに厳しい音がたくさんありますが。

 息の道が見えてきたので、この「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」の良さを知っていただくために未熟さも省みず今年2008年8月3日に小さな演奏会をさせていただきました。この演奏会は既に紹介させていただいています。

 さて、このブッコ抜きは大変な竹で、り(都山の乙ハ)など裏穴以外全て開けてもまだ低いし、コロはほとんど出ないし乙のレ、ロは口を絞るようにして(ひん曲げて)吹く必要がありました。(かなり尺八を吹ける方なら、地無し管CDでその苦労が推測していただけると思います)  

 でも、尺八は100%音色だけではいけませんね。そこで存在するかどうかは別にして「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」で現代管に近い性能の尺八を捜すことになりました。

 地無し管を扱っているとのことで、もしかしたら・・・と思い6月に新幹線でそこへ行きました。2,3本見せていただきましたが、残念ながら失望しました。そのうちの1本などは指穴が極端に大きく、大音量は出るのですが勿論節などは無く品のない音でした。こんなのを求めてはるばる大阪からやってきたのではない、と暗澹たる気持ちで帰阪しました。

「やっぱり、そんな性能のいい味わいのある音色の地無し延べ竹ごろ節有りの尺八なんて、あり得ないのだ」と失望しました。かといって「古鏡」などは手元に置けない私ですが、もしそれが入手できたとしても今の私の吹きたい尺八とはすこし違います。

 私は虚無僧研究会の会員でもありますので、古典本曲のご専門の増谷師にお会いする機会に恵まれました。使われている尺八は地無し管です。その時は桜井無笛製作の竹を吹いていらっしゃいました。わたくしも吹かせていただいたのですが、地無し延べ竹ごろ節有りの独特な音色でした。ただ、長管なので琴古流本曲にはまったく向いてはいません。竹友の方で 河野玉水師の地無し管を持っていらっしゃる方がいました。吹かせていただくと現代管に近い性能で、コロもできるし律も良かったです。ただ、ほとんど節を削っていましたので私の求める“節の残っている竹の音”ではありませんでした。

 その時は浅はかにも、日本を代表する製管師である河野玉水師でも“ゴロ節を残した地無し管”は製作不可能なんだなあと、漠然と感じました。

 しばらくは「性能の良い地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」は諦めていましたが、考えてみれば玉水師は地無し管を作るのだという、きわめて明白な事実に気がつきました。

 「そうだ、せめて自分の“ブッコ抜き”がどの程度のものか、聴いてもらおう」という考えが頭にひらめきました。さっそくお電話すると「どうぞ、来てください」とのお返事。次の日、今吹いている現代管と地無し管をもって河野玉水師を訪ねました。

 地無し管を吹いたり、現代管で琴古流本曲を聴いてもらったりしました。話が弾んで玉水師の製作の数々、また先代のお父さんの作品までも息を通させていただきました。勿論製作の中心は現代管ですが、それでもキンキンした音でなくびゅうびゅう鳴るのですが品のある竹でした。さすが、玉水銘だなあと、自分の目的も忘れて感心していました。

 お話の中で、私の使っている現代管というのはナヤシ等、音を下げるときに所定の高さまで下がらないという、本当に目から鱗のご指摘を受けました。琴古流本曲を吹くとき、ナヤシ等は本来歌口だけで音を低めるのですが現代管では音色が変わってしまい、私はずっと大幅にカザシを併用してきました。いわば嘘を吹いてきたことになります。

 私の見本とする故山口五郎師はお父さんの四郎管を使っていますので余り地を附けていません。従って特に上部管が広いので音を低めるときに苦労無しにできます。すなわち古典本曲向きです。

 この事実は本当にショックでした。尺八の本曲を中心に勉強している自分がきわめて本曲に適していない現代管(地有り)を吹き続けてきたと分かったからです。「なぜ、だれも言ってくれなかったのか・・」と人を恨む気持ちになりましたが、「そうか、今から出発すればいいのだ」とも考え気を取り直しました。

 玉水師は最終的には「自分自身の勉強のために、あなたのために地無し管で、節の残した地無し管を作ってみましょう。しかもドンピシャ、一尺八寸で」と仰っていただきました。

 それというのも、師は50年以上の製管の過程で、自分の研究のために地無し管を幾度と無く製作してきたと言われました。今回もその研究をさせていただくとのことです。よろしくお願いしますと言っては見たものの、中継ぎ無しで丁度一尺八寸の優れた地無し管を作るというのは奇跡に近いのではと半信半疑でした。

 それを察してかどうかは分かりませんが帰りがけ、「竹材を見ていってください」と普段はあまり人に見せないと思われる倉庫を見せてもらいました。少し広い目の倉庫に竹材が驚くほど山積みされていました。数千本でしょうか、一万本に近いでしょうか。先代から続いてらっしゃる伝統の重みを痛いほど感じました。

 それから約一ヶ月、河野先生から「ほぼできあがりました」とのお電話があり喜び勇んで竹を見に行きました。

 製管に手を染めた人なら直ぐ分かると思うのですが、自由に内径を作れる地塗り尺八でもそこそこのレベルの製管ですら大変むつかしいことです。それを、内径を変えずに節の操作とわずかな部分の細工で現代管にも引けを取らない地無し延べ竹ごろ節有りの一尺八寸管を作るのですから、もう神業の世界ですね。少しでも製管をする尺八愛好家でしたら一見の価値は十分あると思います。

 それが、合計、6本番号を付けて製作してくれていました。玉水師は「これは、ほとんど自分自身の研究のためのようなものだ」と仰っていました。 この6本の尺八は膨大な手間暇の塊みたいなものです。

 ところが現実には5番目が見あたらないのでお聞きしますと「作りかけたけれど、とうとう仕上がらなくてやめた」由。玉水師の腕をもってしても捨てざるを得なかった竹があるというのは、裏返して言えば如何に「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」製作が困難なものかを物語っています。

 残りの5本はどれも個性があり、選ぶこと自体たいへん興味深いことでした。2番目のが私の気持ちに近い、すなわち節有りの音色が良いのです。しかも良い息をいれれば良く鳴ります。できたてなので、今後、息の道を探ればもっともっと良い音になる感じです。1,2音鳴らしにくい音がありますが、ポイントを見つければ鳴りますのでそれは自分の練習課題です。

 本当にできたのですね。信じられないくらいでした。まだ慣れていない息でも将来の良い響きを予感させる鳴りでした。もちろんメリの時、音色が変わらずに音が低くなります。これなら琴古流本曲を本曲らしく演奏できます。乙ロの大メリもでるのですね。この性能は横山勝也先生のところの海道道曲に適しています。そして、何よりもゴロ節の残した音色がいいのです。

 その晩は、丁度「古管尺八の楽器学」の著者の志村さんもいらっしゃいましたので、できた尺八を囲んでいろいろな話に花が咲きました。

 帰りがけ、志村氏は三尺何寸でしょうか、オーストラリアの尺八フェスティバルで吹いた巨大な長管で古典本曲を吹かれました。この長管はもちろん地無し延べ竹ごろ節有りの尺八で、地無し管の長所を堪能させていただきました。

 最終的には、古典本曲向きのを1本。そして少しだけ細身の地歌の手事にも対応できるのを1本。合計2本入手いたしました。写真でおわかりのようにゴロ節がくっきり残っているのが見えます。地塗りでないので、この写真の竹の太さから、内径はかなり広いことも分かります。

 (インターネット版では写真省略)

 さて、それから約1ヶ月ほど経ちました。少しだけ息の道が見え始めました。十分吹きこなすまでの道のりは長そうですが、がんばりたいと思います。とりあえず、その写真を掲載しますので、ご覧ください。

 以上が玉水銘〈地無し延べ竹ごろ節有りドンピシャ一尺八寸管〉を入手した経緯です。地無し管の素晴らしさを申し添えて、この文を終わります。

 

【ご案内】

 それにしましても、地無し延べ竹ごろ節有りのドンピシャ一尺八寸管、音色では優に現代管を凌駕し、しかも性能も現代管に引けを取らないという尺八が現実にあり、それを私が今吹いているというのは何か不思議な気がします。もしかすると、自分だけ独り占めしてはいけないのかも知れません。

 ですから、もし試奏したい尺八愛好家がいましたら、やはり試奏していただくのが地無し管の再認識のために有効ではないかと考えます。

 それで、「地無し管試奏日」をあらかじめHP会報、会報でお知らせして、もしご希望でしたらお越しいただくことにしたいと思います。なお私の所持している、江戸時代・元禄のころかそれ以前の一節切尺八も試奏可能です。なにぶん息の道を見つけるだけでも何ヶ月、何年もかかる竹ですのでお一人30分ほどの時間は確保させていただきます。

 HPをご覧の方は、往復ハガキに「試奏希望」と明記し住所、氏名、рお書きの上 〒590-0531 大阪府泉南市岡田2-190 貴志清一まで投函してください。折り返しお越しいただく時刻と地図付きのご案内を差し上げます。

 なお、お申し込み多数の場合は、申し訳ございませんが11月の試奏日(11月のHP会報をご覧ください)にお越しいただくことになりますが、ご了承ください。尺八吹奏研究会・会員の皆様はハガキでも、直接お電話くださっても可能です。お預かりしています返信封筒にてご案内を差し上げます。

【お知らせ】地無し管試奏日10月は12日(日)午後2時~4時ごろです。

○「尺八吹奏法U」ご注文の節は、 
@邦楽ジャーナル通販 商品コード5241、http://www.hogaku.com/
 一冊1,000円)