四国逆打ち遍路&尺八 高知編③ 土井通有
○第6日 2024年10月12日(土)晴れ
今日は足摺岬の突端にある38番金剛福寺を往復し、また民宿久百々に戻って来るのです。
このような遍路の仕方を「打ち戻り」と言います。
さて大きな荷物は宿に預け、参拝用具やカメラと尺八をサブザックに詰めました。
往復の距離は女将によると約40キロということです。
この旅最長の行程になるため6時半の朝食はキャンセルし、5時20分まだ日の出前の暗いうちにヘッドランプをつけての出発となりました。
ただし荷物が軽いのでスタスタと歩けます。やがて大岐の浜の展望台に着くころには空がしらじんできました。
展望台で朝焼けの空を撮っていると、車で来たサーファーの人に声をかけられました。
彼らによると潮の具合がまだ良くないので、サーフィンには適してないそうです。
(写真①:夜明け前の大岐の浜)
さて明るくなってきた県道をひたすら南に歩き、所々のバス停の休憩所で休みました(6:33)。
この辺りは半島の海側を行く道と内陸を土佐清水に向かう道の分岐点になります。
以前も間違えて思っていた海側を行くことができませんでした。少し緊張して道しるべを確認しながら行きました。
しばらく行くと大阪の海遊館が運営する海洋生物研究所以布利センターがあり、そこの遍路休憩所に到着。
ここでトイレ休憩に(7:05)しました。これより地道の遍路道になりますが、少し荒れているようなので車道に戻りました。
先を見ると雲水姿の僧侶が行くのを見かけました。後をついて行くと、彼は遍路道をかなりのペースで歩いていきました。
どんどん行く彼を見失ったので、しかたなく私は途中から県道を行くことにしました。
1時間ほど歩いてこの辺り唯一と言って良い漁港の室津にある休憩所で休み、宿のお接待のおにぎりで朝食をとっていました。
すると後ろから先ほどの雲水さんがやって来ました。あれ!追い抜いていたのです。
後で分かったのですが、彼の歩いた地道の「あしずり遍路道」はアップダウンも多くまた倒木などもあり大変な道だったそうです。
さて食事を終えてさらに県道を南に歩きます。さらに進むとそこには遍路休憩所があったので入ってみると、かの雲水さんがいました。
少し話をして一緒に金剛福寺に向かうことにしました。
亜熱帯風の木々の茂る県道を通過すると足摺岬にあるジョン万次郎像の前に出ました。岬の灯台を見ようと2人で向かいました。
ここから歩いてすぐのところに金剛福寺の山門があります。
門のところで雲水さんに挨拶をして別れ、いつものように参拝して、尺八の吹奏をしました(10:27)。
(写真②:足摺岬の灯台を背景に)
(写真③:金剛福寺本堂)
(写真④:広い池のある境内)
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(動画:金剛福寺で尺八吹奏風景)
さて御朱印をいただき出発(11:10)。帰りは来た道を戻るか、土佐清水市街を経由するのかを迷いました。
私は同じ道を戻るのも趣がないと思い、少し遠回りになりますが土佐清水方面を選びました。
地図を確かめていると車が止まり、お茶とお菓子のお接待をいただきました。
少し行くと休憩所でかの雲水の僧侶が休んでいました。彼は靴を脱ぎ、靴下も脱いでいました。
私は残りのおにぎりと先ほどのお接待のお茶で昼食をとりました。彼はいつも昼食をとらないのだそうです。
また歩き始めの頃は地下足袋を履いていたそうですが、足にたくさんまめを作り、その後普通のスニーカーに変えたそうです。
その足を見ると水ぶくれが潰れ、すでに皮が厚くなっていました。これも修行でしょう。
さらに1時間余り歩いて彼の希望もあり、中浜地区にあるジョン万次郎の生家(復元)を見ることにしました(13:15)。
ジョン万次郎は、中浜万次郎が本名です。姓は生まれた地名に因みます。 (参照:会報475)
さて中浜の集落から坂を登り、県道から山道の遍路道に入りました。
これは県道を行くとかなりの遠回りとなるので、この道を選びました。
1時間ほどでアップダウンのある遍路道を抜けて、近くのバス停にて休憩。
ここから土佐清水市街を通り、トンネルを抜けて以布利地区に入りました。
さらにサーファーがたくさん来ている大岐の浜の砂浜を歩いて通過しました。
こうして久百々には日暮れ前の4時半には到着することができました。
(写真⑤:大岐の浜の浜辺 サーフィンが盛ん)
一緒に歩いた僧侶さんは、さらに歩いて下ノ加江の宿「安宿(あんしゅく)」まで行くそうです。合わせて往復50キロはあります。
彼は宮崎にお寺があるそうで、檀家の方々は四国を遍路されて戻ってくる若い僧侶を今か今かと待ち受けていることでしょう。
良きお坊さんになってくださいと念じました。
歩行距離:44.1キロメートル 所要時間:9時間18分