戻る

   琴古本曲に地無し管は必需品です。 地無し管・地塗り管の二足の草鞋を履いて13年   貴志清一

 琴古流尺八歴が今年で40年ほどになります。山口五郎・青木鈴慕の「鹿の遠音」に憧れて始めた琴古流。
その「鹿の遠音」や「巣鶴鈴慕」などは何度吹いても飽きるということがありません。
良くできた尺八本曲は霊力のあるお経のようなもので、ちょうど般若心経を毎日唱えても"飽きる"ことがないのと同じなのでしょう。

 さてその本曲ですが、琴古入門以来ずっと悩んで努力してきた「ツメリ音」・・・・30年近く
それこそ莫大な時間を投下してやっとまともな高さのツメリが出せるようになったのですが、
如何せん、音色がつぶれたような音になるのをどうしょうもありませんでした。

ところが江戸時代の名管"古鏡(こきょう)"を吹かせていただいたりブッコ抜きの古い竹(いずれも地無し管)を吹いたりしていると「ツメリ」やその他のメリが苦労なくでるのです。
しかも柔らかく力強い音色に心が癒やされるのを感じるのです。
 メリの為に莫大な時間をかけた練習はいったい何だったのか!
 そう気づき、地無し管を探しに東京まででかけたりして、結局2008年の夏に河野玉水師に地無し節残し管を製作していただいたのでした。

 完成した地無し管をいただきに玉水宅を訪問したとき、たまたま居合わせた方が大阪芸大の『古管尺八の楽器学』で有名な志村哲先生でした。 
古管、地無し管の特性を学術的に分析された先生で地無し管の再評価につながった著者との遭遇は何か不思議な縁を感じます。
 まだ『古管尺八の楽器学』を手にしたことのない人の為にその主要な点を引用します。

p.111「・・・・(地無し管は)メリをおこなった時、十分な音量が得られる。それにより、メリ音の微細な変化を演奏制御できる。また地無し管のメリ音は深い味わいの音色になる」

a.112「カリ吹きに関しても、大カリを効かすことができる」

 今回は如何に地無し管で琴古流本曲が生き返ってくるか、を地塗り管と実際に吹き比べてみたいと思います。

 箇条書きにして6項目、比べていきましょう。



 古管がなくても、令和の現時点で優れた地無し節残し管を高い水準で製作し製品化されている河野玉水工房が存在するという、ありがたい現実に感謝する次第です。
 さて、その6項目は
1.地無し管は各孔の音色が個性的である。
これは管内が節によって大きく3つの部屋に分かれていることによる。

 (比較図①と音源(1))


https://comuso.sakuraweb.com/music/443-1.MP3


2.ツメリをはじめ、各メリ音が容易に出すことができる。
 これは内部に地を置いていないので管内が広いという構造の結果のようである。

 (比較図②と音源(2))


https://comuso.sakuraweb.com/music/443-2.MP3


3.打ち指、コロコロ、その他の特殊音がきわめて効果的に発音できる。 特に地無し管での「打ち」は能楽における小鼓の打つ音色に似ている。

 (比較図③と音源(3))


https://comuso.sakuraweb.com/music/443-3.MP3


4.オクターブが西洋音楽のように均等ではない。そのことにより幽玄な表現が出来る。
 地塗り管で「乙り→甲ヒ」はフルートのようにきちんとしたオクターブになるが、地無し管ではその幅が狭く、若干「甲ヒ」が低めである。
 本曲では「乙り→甲ヒ」を旋律型では使うことはないので、この低め甲ヒは狭いオクターブ効果により「幽玄」な雰囲気を醸し出す。
 ちょうど能管が「のど」を入れることによって意図的にオクターブ関係を崩して幽玄さを表現しているのと同じ効果がある。
 考えてみれば西洋音楽における半音12音は、本来アナログ(連続)した無限の音高の中からたった12の決まった高さしか許さないという発想によっている。
しかし西洋音楽ならいざ知らず、音の美しさは厳格に決められた高さによるものではない。
静かな山里で聴く鳥の歌声、たとえばウグイスの「ホーホケキョ」を聞いたときに、
「ドーー、ドソレ」からずれているから、ウグイスの歌は間違っている・・・・とは誰も言いません。
西洋の12音から外れたウグイスの歌声は、やはりきれいなものです。
 おもえば明治政府の音楽取り調べ係から国是として西洋音楽を至上のものとして、それから外れる日本音楽を未発達、未開なものとし、
尺八に至っては「音量がない」「音程がない」「おまえの尺八、何にもない」と批判され、悪いことに尺八吹き自身が劣等感を内面化して
挙げ句にオークラウロという尺八の吹き口にフルートのキーメカニズムをつけてしまいました。
その反省もされないまま、現代でも「それでは、アルミニウムで尺八を作って大音量、西洋音楽的なピッチを目指しましょ!」という流れもなされています。
 いい加減、こういう馬鹿なことはやめてもらいたいと思います。
 大音量・正確な音程がほしければフルートを習いにいってください。
そのために日本から尺八奏者が消えてもよしとしましょう。
 皮肉なことに欧米で尺八を吹いている人たちの多くは「ジナシjinashi」を求めます。
一度インターネットで「jinashi」を検索してみればよく分かります。
日本から地無し尺八がなくなったとしても、日本の若者が地無し管で本曲を勉強したければ大丈夫、ヨーロッパへ行って習えばOKです。
 しかし、そんな時代が来ることがないことを祈っています。

 (比較図④と音源(4))


https://comuso.sakuraweb.com/music/443-4.MP3


5.地無し管はいつまで吹いていても不思議と「飽き」がこない。
 これは奏者の主観的なもので計量化できませんが、私の経験から断定できます。

 (比較図⑤と音源(5))


https://comuso.sakuraweb.com/music/443-5.MP3



6.地無し管は、管の振動が指-腕-体に伝わり実に気持ちのいいものです。1本の竹が中継ぎ無しにつながり、竹の繊維が縦に通っていますのでその振動が自然に体に伝わるのでしょう。この振動は自律神経に効果があるのかもしれません。
 (比較図⑥と音源(6))


https://comuso.sakuraweb.com/music/443-6.MP3


以上の6点ですが、それらを総合して琴古流本曲「夕暮の曲」をお聴きください。
 (「夕暮の曲」と音源(7))


https://comuso.sakuraweb.com/music/443-7.MP3