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一節切特集2「一節切と蘭学の祖 前野良沢」
〜一節切教室開始と漆塗黄鐘管一節切のご案内〜 貴志清一
前野良沢と言えば『解体新書』の翻訳の中心人物であり、蘭学の祖とも言うべき日本史上有名な蘭学者です。
この『解体新書』をきっかけに蘭学(オランダ語学)が興隆し鎖国下の日本にあって海外、特に西洋の医学・天文・物理・化学などが日本語によって紹介されました。
オランダ語ができると、その姉妹語のドイツ語習得はきわめて容易でありドイツ語と親戚の英語学習も難しいものでなくなります。蘭学学習者、則ち日本人の知的水準の高さが領土拡張をやみくもに図る西洋列強の圧力の中、しかも開国・幕府崩壊の混乱に面しても日本の植民地化を阻止し日本の独立を保ったとも言えます。
その最初の功労者が前野良沢なのです。
『解体新書』の共同翻訳者である杉田玄白も晩年の回想録『蘭学事始』で前野良沢の功績を書いています。
すなわち、杉田玄白・中川淳庵は翻訳者とは言っても実際の翻訳は前野良沢ひとりで行ったようなものだと述べています。
その『蘭学事始』のなかに「前野良沢は一節切(ひとよぎり)の名手だった」とあります。(岩波文庫p14)
「さて、翁が友・豊前中津侯の医官・前野良沢といへるものあり。この人 幼少にして孤となり、その叔父 淀侯の医師
宮田全澤といふ人に養はれて成り立ちし男なり。
・・・(良沢を)教育せし(養父)の教えに、
人といふ者は、世に廃れんと思ふ芸能は習ひ置きて末々までも絶えざるやうにし、当時(現在)人の捨ててせぬことになりしをば
これをなして、世のために後にその事の残るやうにすべしと教へられしよし。
いかさま
その教へに違はず、この良沢といへる男も天然の奇士にてありしなり。・・・遊芸にても、世にすたりし一節切を稽古してその秘曲を極めし。・・・かくの如く奇を好む性なりしにより、青木(昆陽)君の門に入りて和蘭の横文字とその一二の国語を習ひしなり。」
すなわち前野良沢は普化尺八に圧倒されて滅びかけていた一節切を習い、秘曲まで吹けるほどの腕前になっていました。
去年(2017年)の暮れに翻刻・解説した
『糸竹古今集』の中にも実はこの前野良沢が見え隠れしているのです。
糸竹古今集の著者である神谷潤亭は元・豊前(大分県)中津藩士でした。かれは自分の一節切の系統が大森宗勲の流れを汲む指田流であることを述べ自分の師を簗(やな)次正としています。この簗次正は神谷潤亭と同じく中津藩士で神谷の叔父に当たります。
(川嶌眞人『続・豊前中津医学史散歩』p5)
そして簗次正に宗勲流の一節切を教えたのが前野良沢なのです。というのも、簗次正も藩医の前野良沢も同じ江戸中津藩の中屋敷に住んでいて交流をもっていたからです。
厳密ではないですが『糸竹古今集』の神谷潤亭は蘭学者前野良沢の孫弟子ということになります。
いわば江戸後期の一節切復興運動は大分豊前の中津藩によって推進されたと言えます。
現今"使い捨て"という言葉に代表されるごとく古い物は大事にしないという世相なのですが、今一度「廃れようとする芸能は習い置き、人の捨ててせぬことを為してその事の残るように」することの意味を考えて見るのも大事なことだと思います。
尺八史にあるごとく一節切はすでに江戸時代末には滅びてしまいその伝承は残念ながら絶えてしまいました。
室町時代の一休禅師が吹き、水墨画の雪舟が嗜み、朝倉義景がのめり込み、また信長・家康も吹奏した一節切。それは一体どんな音色で
どんな音楽を奏でたのでしょうか。それを知りたくて古管を求め、楽譜や文献から可能な限り曲を復元してきました。
そのささやかな試みを「糸竹初心集による一節切入門CD」「短笛秘伝譜の全曲復元演奏の試みCD」「糸竹古今集の翻刻・解説DVD「六段」付」(
頒布資料)として作成しました。
日本の人口は1億人ほどでしょうか、その中のたった一人でも一節切に興味を持つ人がいれば、その方は不十分ながら上記の資料から出発して欲しいと思います。私も実技は相良保之師に手ほどきを受け、古くは林謙三博士の研究を初め多くの文献に接してきましたので一節切の理解は大きな回り道をしなくて済みました。
なにぶん一節切は実技をともなう楽器です。ですので日本でたった一人でも興味を持った人のために微力ながら助力するため4月より
〈貴志清一尺八・一節切教室〉を開始いたします。ワンポイント稽古でも可能ですので志のある方はお越し下さい。
また、古管を所持していない方のために一節切曲復元演奏可能な高い水準の長年使える漆塗黄鐘管も頒布開始いたします。委しくはトップページの
〈一節切黄鐘管頒布〉をご覧下さい。
現代社会は管理社会とも言われます。しかし画一化は文化の向上には繋がらないでしょう。現代の前野良沢がたくさん生まれることを願っています。