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地無し尺八で現代曲「惜別の舞」に挑戦!
(音源:「惜別の舞」2016.8.12遊戯の会定例練習より)
貴志清一
私は思うところがあって2008年から河野玉水さんに作って貰った地無し管のみを一尺八寸の吹料としています。
(地無し節残し延べ竹一尺八寸管)
この竹は吹けば吹くほど「もっと吹き込みたい」という思いにさせる尺八でした。当時55才でしたので、「今この竹を吹き込んでおかないと60の還暦を待っていれば手遅れだ」という焦りもあって地無し一尺八寸のみを練習してきました。
その間、いろいろと不思議なことがありました。
たとえば最初の頃、甲ヒ(一孔と五孔のみ閉じ)がきわめて出にくく弟子に稽古を付けている時は仕方なしに乙リの指の甲音を使ったりしていました。ところがある日突然、割合楽に甲ヒが出たのです。一度出やすくなった音は、以後出やすいままで助かりました。
地無しを中心に一日の練習を始めて8年経ちます。いつまで経っても吹くのは難しいのですが、その分、毎日工夫がいりますので尺八練習自体を楽しむことができます。愛好家(アマチュア)の特権で、何月何日の演奏会である曲を完璧に吹かなければならないという「しばり」なしで尺八を楽しんできました。
誤解のないように言いますが、単に吹いていて「楽しい」というのではなく、「音が出にくい」「調子が悪い」「情けない音しか出ない」という苦労は常時あります。しかしそれらの「苦労に取り組むことが、結果的に楽しいことだ」という意味の楽しさです。
さて、この地無し管を作られた玉水さんと約束したことがあります。
「今から5年間は竹が良くなってきますので、時々私の所へ来て音を聴かせて下さい。」というものです。確かに5年間で音色が良くなり吹きやすく、鳴りやすくなってきました。
しかし、この地無し管が吹きやすくなったといって新曲や現代曲が上手く吹けるという訳ではありません。
闇雲に新曲・現代曲に取り組んでも地無し管の良さが全く生かされず、地無しの長所が台無しになることが多いものです。
"彼を知り己を知れば百戦危うからず"ということで、まず地無しと地塗りの違いを明確に知っておく必要があります。
これを
1.立ち上がり
2.音程
3.音量
4.明瞭さ
この4つの要素で比べましょう。
覚え方は「目立ち てい、音量・明瞭で」
すなわち「・立ち上がり、音程(てい)、音量、明瞭さで」
○地無し尺八は、
1.音の立ち上がりが滑らかで、自然に膨らんでいって音になる
2.音程も少しのメリカリで変化し、メリ音でも音質が変わりにくい
3.音量は闇雲に大きな音ではなく、耳に快い大きさである。
かといって、遠くまで響かないのではなく、静かな環境であれば いわゆる「遠音がさし」ます。
4.音は明瞭でない分幽玄な感じがし、色々な音が混ざっているよう な、丁度「この世界のありとあらゆる響きを含んでいる」ような 音である。
これが地無し尺八の良さで、このような特性で琴古流本曲や古典本曲を吹くと曲が生きてくるのです。
しかし、この地無しの特性を以て新曲などを吹くと、
1.音の立ち上がりが悪いので、十分な音になる前に次の音を吹かなければならないから、中途半端な音のまま全曲、終わってしまう。
2.音程が定まりにくいので速い音符など何を吹いているのか分からないような演奏になる。
3.箏との合奏などで音量が出ないから琴や十七絃の響きに埋もれてしまって何を演奏しているのか分からないという風になる危険性がある。
4.音が明瞭でないので、特にタンギングの要る箇所など対応できないくらいである。
江戸時代、主に本曲を吹いていた時には「音の立ち上がり,音程、音量、明瞭さ」などは全く要求されなかったに違いありません。
しかし明治になり、尺八が三曲合奏に生きる道を求め、西洋音楽の音量・音程・リズムに大きく影響され続けているうちに今までの「幽玄さ」はかえって邪魔になってきました。尺八の内部に地を置いて金属のように磨き上げ、音響的に工夫し、それでも満足できずオークラウロという尺八にフルートを接ぎ木したようなものまで登場しました。地塗り尺八の工夫から100年以上経ち、もはや楽器として成立している地無し管を作れる工房はほとんどありません。
たまたま玉水工房では「時々、製管師としての腕を磨くため」に地無し管の製作を続けてきたので「節残し、延べ竹1尺八寸、ドンピシャ440Hz」という竹を作っていただけたのは私の幸運でした。
私も現代を生きる一人の演奏者として、今の曲にも大いに興味があります。しかし持ち竹は地無し管ですのでなかなかそれに合った曲は少ないのです。それでも数多くの良い曲を作ってこられた宮田耕八朗氏の「雲井獅子」や「惜別の舞」は古典奏法の良さを生かした曲です。
今回は地無し尺八で定例の「遊戯の会」合奏練習日に演奏した録音で「惜別の舞」をお聴き下さい。
(音声ファイル:「惜別の舞」 2016.8.12遊戯の会定例練習より)
練習の一コマということで完全な演奏にはなっていませんが、地無し尺八で現代曲を吹く、しかも古典の良さを生かした曲を吹くとどうなるかという視点から鑑賞して下さい。
なおこの「遊戯の会」を主宰していらっしゃるのは菊苑馨先生です。職業演奏家ではないのですがその音楽性、音色、技術はすばらしいものがあります。先生のような隠れた一流の演奏家が存在するという事実からしても、日本の箏曲はまだまだ捨てたものではないことが分かります。このような一流の技倆をお持ちの先生と気軽に合奏できる幸運を身にしみて感じる今日この頃です。
今回は録りっぱなしの音源からあとで先生に「参考程度」ならHPにアップしてもいいですとの許可をいただいたものですので、練習風景の一コマとしてお聴き下さい。