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新春特別号(2016年1月3日)
幻の尺八名人と『ロベルトの日曜日』
貴志清一
『竹籟五章』という独奏尺八の為の現代曲が作曲されてほぼ50年になります。現代曲ですから現在から見ますといささか古い曲に属します。そして演奏会で取り上げられることもほとんどありません。ですから実際にどんな音楽なのかを知る人も少ないというのが実情です。
1900年以降、西洋クラシック音楽の世界は行き詰まり、ほとんど名曲といったものは生まれなくなりました。代わって訳のよく分からない12
音音楽といった数字の遊びのような人工的な音楽が幅をきかせてきました。シェーンベルクとかいった人たちです。音楽界は「西洋クラシック(古典)」の言葉
通り、評価の定まった過去の古典の名曲の再現演奏を聞くことが中心になってきました。音楽における創造の活力はむしろジャズ音楽などに素晴らしいものがあ
りました。20世紀は後世の音楽史家によって「ジャズの時代」と命名されるかもしれません。
日本では明治以来の〈西洋に追いつけ、追い越せ〉というスローガン通り、1945年の敗戦から後は半世紀前の「現代音楽」技法の勉強になります。勿論そのまま真似しても能がないので、電気的な力をかりた〈電子音楽〉といった形にもなりました。
そういう戦後の日本のクラシック音楽界の流れで生まれたのが皮肉にも明治以降に否定してきた〈邦楽器〉を使った現代音楽です。すなわち〈邦
楽〉の発見です。それは現代音楽の作曲家にとっては邦楽器の再発見でした。武満徹の尺八・琵琶・オーケストラという編成の「ノーベンバー・ステップス」な
どはその代表でした。
作曲家の諸井誠もその流れの中で〈尺八〉を発見します。希代の尺八名人との共同作業の内にできたのが「竹籟五章」という曲です。
この曲の成立について作曲者自らその動機を説明しているものがあります。それが『ロベルトの日曜日』という短編小説風の書き物です。
雑誌への連載の後、中公文庫に所収されました。
この「ロベルトの日曜日」は絶版になっていますのでなかなか入手困難ですが、少し大きな公立図書館に行きますと所蔵していることも多いですし、古書店でも手に入る本です。
さて「竹籟五章」が作曲されたのが1964年。この年は東京オリンピックが開催された年で、ようやく日本も焼け野原から復興して社会全体が明
るくなってきた時代です。しかし一方では1962年のキューバ危機に代表される極めて厳しい冷戦時代でもありました。一触即発の危険をはらんだ世界情勢で
した。また1964年から始まり70年をピークとする大学紛争の時代。若者が出口のない閉塞感・絶望感に苛まれた時代背景を考慮に入れて初めてこの曲の"
激しさ"や"既存の音組織の破壊"が理解されるのです。「竹籟五章」は一種の歴史資料であり、やはりきちんと研究しなければならない日本音楽史の課題でも
あります。
不思議なことにこの曲の初演者の演奏が意外と手に入りにくいのです。「竹籟五章」(ちくらいごしょう)という名前の普及に反して、実際に音源を聴いた人は少ないのではないでしょうか。ひとつにはどうもレコード音源をCD化していないというのが原因のようです。
それはさておき、この興味ある初演者・尺八名人の演奏する「竹籟五章」について作曲者自身の言葉を『ロベルトの日曜日』から聞きましょう。 (ページ番号は中公文庫のものです)
まず目次です。これを見ただけでも尺八本曲に関心のある人は読みたくなると思います。
「目次」
明暗寺にて/尺八頌/本曲について/
音と言葉と/尺八とピアノと1/尺八とピアノと2
尺八本曲のリズム1/尺八本曲のリズム2
尺八のために1/尺八のために2/尺八のために3/
わかれ
「明暗寺にて」でこの頃の第30回尺八本曲全国献奏大会のことが述べられます。なんと、この会に若いときの山本邦山が演奏し、その曲が「竹籟五章」でした。(p.9)
諸井誠の本曲観は
「本曲とは厳しいものである。無伴奏の尺八独奏曲で有る本曲には多かれ少なかれ宗教性が感じられ、特に「虚空」とか「虚鈴」とか「霧海箎」とか
最古のものといわれる古典本曲には、底知れない深さ、いい知れない悲しみ、厳粛な感動のすべてがそこに秘められているように感じられる。」(p10)
卓越した西洋音楽の作曲家である諸井誠の洞察力に私たち尺八奏者はただ感心するばかりです。
確かに尺八古典本曲のすばらしさは十分理解し享受できるのですが、やはり「今」を生きている諸井誠は〈現代人としての感性〉を表現したいという情熱が強かったのでしょう。彼はそれを「竹籟五章」で試みました。
現代から見ると〈やや時代遅れ〉のように見られる「竹籟五章」ですが、それは「幻の名人」の演奏を聴かないことが原因かもしれません。今この
文章を読んでいただいてる方に「音楽を汲み取る力」があるとすれば、好き嫌いは別にして「竹籟五章は決してつまらない曲ではない」と感じるはずです。音楽
は言葉(解説など)で聴くものではなく心の耳で聴くものだという当たり前のことが出来ているかどうかという問いを突きつけられているような曲です。
さて氏(諸井誠)は古典本曲との違いを次のように述べます。
「・・・(幻の名人の演奏する)『霧海箎』も。何度も何度も聴きました。そしてやっと古典本曲との違いがよくわかってきたような気がする。君の
曲(竹籟五章)には本曲の持つ宗教的な静的雰囲気と、怒りの爆発や、狂気の発作や、痙攣のような、現代そのものの表現が混ざり合って共存していて、まるで
古典と現代が戦っているみたいに聞こえる。それの古典本曲には絶対に存在しないスケルツォが(ある)
※スケルツォ=scherzo=軽やかなユーモア:」(p26)
それでは創作者としての氏の尺八に対する基本姿勢はどうなのでしょう。氏は諸井三郎という有名な洋楽の作曲家に家に生まれ、それこそ生まれ落ち
たときから西洋音楽に囲まれ、そして訓練を受けてきた人です。それでも、どうしても否定しきれない「日本的な感性」を自分の中に発見します。
「私にとって尺八は、現代の日本人が、知的感覚的に異国趣味化した、いわゆる”日本の伝統”というやつではなくて、私の中の実体、潜在していた
祖先の血というものの表明なのです。私にとっては、二つの日本がともに真実だと言える。ピアノの日本も、尺八の日本も・・・・・。そして同時に二つの反対
の道を探求することは、全く自然である。」
(p52)
次ぎに論じるのが「尺八譜」の問題です。
尺八譜は琴、三味線や他の邦楽器と同じく楽譜は〈指の押さえ方〉で示され、五線譜のように絶対音高を求める記譜法ではありません。
義務教育に五線譜が入って長い年月がたちますから、たとえばA(ラ)の音符があればA(ラ)の高さを五線譜は要求します。現代のように平均律
のキーボードに慣れされた耳では、五線譜を使うとこのA=約440Hzの音を出そうとします。また、四分音符や八分音符に出会うと、自ずから西洋のビート
(拍節)感で吹いてしまうでしょう。
そうすると氏の言うように、
「(邦楽を)いっそ、全部五線譜にしてしまえば、・・・?」
「(諸井)そうです。それはNHK邦楽技能者育成会という邦楽奏者の育成組織でとっている方式なのですが、私はこの「合理主義」にも、また何か釈然としないものを感じる。」(p59)
「・・・音程をピアノ的正確さで合わせ、リズムをバッハ的規律のわくにはめこんだら、尺八の本曲の特徴はまるでなくなってしまう。」(p62)
→正にその通りで、竹によって奏者によって微妙に各音程が違い、また一音のなかでも音程が微妙に変わることによって尺八音楽が深い表現力を持っ
ているのです。また、古典本曲の譜字だけをズラズラ並べた楽譜だからこそ自由な表現ができるのです。この2つによって、音にしてみれば極めて単純な本曲が
奏者の熟練・未熟によって鬼神も涙させるほどの感動的な曲にもなり、またすやすや眠ってる赤ちゃんが火が付いたように泣き出すゴミみたいな曲にもなるので
す。
私は琴古流ですので、ゴマ点という拍を均一にする危険性のある三浦琴童譜を使わざるをえないのですが、江戸時代のゴマ点無しの琴古譜を参考に「ゴマ点があたかも付いていないような」吹き方を心がけています。
さて「竹籟五章」には西洋で言う16分音符で動く無機的な速い音型が見られます。なぜかくも人間の自然な要求を無視したような現代音楽技法を使うのか?とも思いますが、それはそれとして、そのやり方の種明かしがp.100に書いてあります。
すなわち、ある規則の下で音を書いたカードをトランプのようにデタラメに並べていくのです。まあ、こんなことをしていれば血の通った感動を呼
ぶ音楽は成立しようもありません。しかし流行というのは怖いものです。「赤信号、みんなで渡れば こわくない」の原理です。 この曲の初演当初この確率音
楽のパッセージ(楽句)は斬新に聞こえたようです。しかし50年という歴史の洗礼を受けたとき、それはもはや陳腐以外何物でもないといえます。
そういえば、私がフルートを囓っていた40年ほど前、金昌国という日本のトップレベルのフルーティストのリサイタルに行ったことがあります。
曲目は忘れましたが、いわゆる「現代曲」中心のプログラムでした。田舎の音楽好きのフルート学生だった私は当然「聞きやすい」「良い旋律」の音楽を期待し
ていました。ところが、いきなり靴で舞台をドンドン踏みならし訳の分からない音が出たと思うと、こんどは吹かずにフルートのキイをパタパタ叩き、ハイおし
まい。これは何?と唖然としていました。
今なら「そんな馬鹿なことして聴衆を愚弄するなら、入場料を返して」と言えるのですが、当時は〈日本のトップフルーティスト〉が吹く〈西洋音楽の最先端の曲〉、∴故に〈素晴らしい音楽〉。そしてその音楽が分からない自分は〈音楽の理解できない、耳の悪い人間〉。
そのように自分を卑下しました。しかし、自分を卑下しながらも「どこか、変なのでは?」という思いは持ち続けていました。それでも「そのおかしさ」を言葉で説明できなかったので、たいへん悔しい思いをしました。
音楽経験上の悔しさ、恨みは「鐘に恨みは数々あれど」ではないのですが、結果として情熱を持って尺八を続ける動機になりました。
(卑俗な言葉で言えば"敵討ち"です。これについては後日改めて書かせていただきます。)
ここで一つ諸井誠が尺八吹きでない、少なくとも吹奏楽器奏者でないということからくる制約について考えましょう。
〈本曲のリズム〉ということです。
(p65)「朝が来る。太陽が昇る。明るさ。昼間。夕方太陽が沈む。夜が来る。暗さ。夜。この昼と夜の交代は、人間生活に一つのリズムを与えているでしょう。(中略)
日本にはすばらしい四季のリズムがある。美しいリズムだ。春になると、暖かくなって花が咲き、鳥たちが歌い、人は陽気になる。
夏が来る。激しい暑さ。(中略)
もっと小さい単位のリズムについて語りましょう。海岸に行く。波が押し寄せては返す。波動というやつです。この波動にも周期があり、その反復持続が人間の心にリズム感とテンポ感をもたらす。」
ここまではたいへん哲学的でいいのですが、尺八本曲のリズムについては
(p74)「本曲を聴いているとフレーズひとつにも、細かい音型の動きや運び方の中に、テンポ感というか、リズム感の比較的はっきりしているところが時々あって、それが一つの支えになっていると思う。」
ここでは、尺八古典本曲と言えどもテンポ感があることに言及しているのですが、より強調していることは、
(p70)「・・・できるだけ長い"一息"とかに拡大して捉えることで人間の肉体と精神に、再び別な形でむすびついてくる」
と述べて、「一息音」を強調します。
原因はこれだ!すなわち、「竹籟五章」では息継ぎの「間(ま)」が空きすぎて"間がもたない"ことの原因が。
せっかく本曲にもゆったりした安静時の心臓の鼓動に似た拍があり、それが本曲に命を与えているのですが、一息の長い単位を強調しすぎますと音
楽が止まってしまいます。自然な本曲のゆったりした拍動、波のようなリズムは海道童祖の演奏を聴けばよく分かります。自然な音楽の流れが「頭で考えた"一
息音"」によって分断され、結局この曲の価値を低下させているのです。
この名人の吹く「真霧海箎」を聴くと、次のフレーズは前のフレーズを受けて適切に入っています。
我々後進の者は、この点に十分気をつけなければならないでしょう。
それというのも、諸井氏が実際の尺八演奏者でないということから来ていると思います。
さて以上が私見です。もっと音楽に深い理解のある方は別の見方をなさると思います。
たまたま私はこの名人の「竹籟五章」「霧海箎」の音源を所持していますので、CD音源資料として希望があればお分けします。
ご希望の方は〈封筒に82円切手10枚を同封の上、「幻の名人音源希望」と明記し住所/氏名をお書きの上〒590-0531泉南市岡田2-190-7尺八吹奏研究会宛にお送り下さい。〉
音源資料の性格上〈封筒のみ〉受け付けます。葉書・メールは不可です。
また以前頒布の案内をしましたDVD「技に生きる」にこの幻の名人の演奏姿が収録されていますし、映像のバック音楽はすべて彼の演奏です。 「虚空」「追分」、名人自身の作曲「明暗(あけくれ)」、そして最後は「布袋軒鈴慕」です。ご希望の方はHP上方の
〈頒布CD・資料〉をご覧ください。