四国逆打ち遍路&尺八 徳島編⑥(小松島市〜徳島市) 土井通有
○第5日 2025年5月27日(火)くもりのち晴れ(夕方にわか雨)
宿の松本屋を7時に出発。次の国分寺を目指しますが、道は昨日と同じ観音寺への道を辿ります。
観音寺に到着(7:37)。昨日お参りしているので、お経をあげて次の国分寺に向かいます。
道沿いには遍路墓と中務茂兵衛の「道しるべ石」があり、写真に収めて2キロの道を行くと15番国分寺に到着(8:15)。
国分寺は立派な本堂と梵鐘があります。境内で今日も最初の札所なので尺八を吹奏しました。
(写真①:石仏と中務茂兵衛の道しるべ、右端の石柱)
(写真②:国分寺 本堂)
(写真③:国分寺にて尺八)
次の14番常楽寺までは村の中の道を約1キロ歩きます。お寺は池の上の高台にあります。
いつものように納経を済ませました。次は2.5キロ先の13番大日寺です。
大日寺は鮎喰川(あくいがわ)の河畔にあり、県道を挟んで向かいにはかつては阿波の総鎮守であった一宮神社があります。
江戸時代はこの神社が札所でした。
明治の神仏分離令などを経て、現在の大日寺が札所で、十一面観音像が本尊で大日如来は脇仏になっています。
(写真④:常楽寺本堂)
(写真⑤:一宮神社)
(写真⑥:大日寺 本堂)
さて、納経を終えて朱印をいただいて出発(10:25)。
しばらく行くとコンビニがあったので昼食のおにぎり・パンとヨーグルトを買いました。
少し行くと家の前で草むしりをしている老人に会い、挨拶をしました。
すると「お茶でも飲んで行きなさい。」ということで玄関に迎え入れられました。
コーヒーとパンと駄菓子を出していただきました(お接待)。
彼は遍路の歩き方は頑張りすぎないこと、また普段ダンベルで体を鍛えていることなどを熱く語りました。
相槌を打ちながら私は先を急ぐので、丁重にお礼を言って退出することにしました。
パンなどはお断りしたのですがラップに包み途中で食べるようにと、持たせていただきました。
20分あまりの寄り道になりました。天気も良くなり、気分良く先を急ぎました。
2時間ほど歩くと広野小学校のグランドの隅にベンチとトイレがあり、ここで昼食をとりました(12:35)。
さらに小さな峠をトンネルで抜けて約5キロ行くと神山町鬼籠野(おろの)に着きました。
神山町は桜で有名だそうで、道沿いには枝垂れ桜がたくさん植えられていました。
街路樹の桜の中にはサクランボが実っているものがあり、少し頂いて喉を潤しました。
今日は長丁場なのでまだまだ先があります。
やがて神山町の道の駅に到着し、そこで休憩を取りました(14:37)。
そして役場の前を過ぎ国道から右に折れて県道に入ります。
この角には県立城西高校神山校があり、元気な生徒の下校に会いました。
またそこの角にはスーパーもあり、よく見ると懐かしい「瓶入りコーラを売る自動販売機」がありました。
お金を入れるとコーラの瓶が出て来ます。
自販機には栓抜きが付いていて、シュパット開けてグイッと飲みました。昔懐かしい思い出がよみがえりました。
県道は一本道で、3.5キロほど先に今日の宿の「すだち庵」があります。
途中には桜並木や、山法師の花が見られ、写真に収めました。
鍋岩地区に入るところで宿からの電話があり予定通り到着できることを伝えました。
(写真⑦:山法師の花)
宿には午後4時15分に到着しました。お風呂をいただき、洗濯をしていると夕立がありました。
もう少し遅くなると雨に遭っていたので安堵しました。
宿には女性2人と男性3人、合わせて5人でいつもより少ないとのことです。
男性の1人はスイス人でした。主人は英語が堪能なようで、スイス人には明日の宿の予約をしてあげていました。
私以外は順打ちで、また私が一番の年上のようでした。
女性の二人組は鶴林寺と太龍寺に行くのをどうすべきか考えているようでした。
私は「焼山寺の遍路ころがしを越えられたので大丈夫」と行くこと勧めました。
また主人に大日寺の先で老人にお接待を受けたことを話すと、その老人は有名で、ときには2時間喋ることもあるということです。
私は20分で済んで良かったようです。このように色々と情報交換をして今日も就寝しました。
歩行距離:31.2キロメートル 所要時間:6時間30分