インターネット会報2009年1月号
明けましておめでとうございます。
木幡吹月「尺八古今集」の紹介
貴志清一
今から58年前の昭和26年に月刊『尺八』誌上で木幡吹月師の連載が10回にわたり掲載されました。
その題は「尺八古今集」。
十数年前に本会会員のお陰でこの「尺八古今集」を読ませていただき大いに感銘を受けたことを覚えています。
そして昨年、いつもお世話になっています 和田亮介師が原文を読みやすくして新たに『尺八古今集』を出版され
ました。和田氏は木幡吹月師のご子息でいらっしゃいます。
この論説は、かれこれ60年も前のものですが、今読んでも大変感銘を受けることがたくさんあります。物事の本質
をついたものは色あせないものです。丁度吉田兼好の「徒然草」のようなもので、今の尺八奏者にとってもこの「尺八
古今集」は必読のものだと思います。
私個人にとってもこの論説の中の“地無し尺八”に関する記事は、一つ一つ「なるほど、その通り」と思うことばかり
です。昨年(平成20年)の8月より玉水銘「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」を吹き続けてこの地無し管の《音味》の
良さがだんだん分かってきましたので、改めて吹月師のいわんとするところが理解できるようになりました。
おそらく、この「尺八古今集」の卓越した内容を理解するには、実際に地無し管を手にしなければならのだと思います。
本文8ページに
「・・中へ石膏を流し込んだ、丸い型抜きの大量生産の尺八は、音味のよいものは絶対にできない。」とあります。
この2行の文を理解するのに私は30年かかりました。すなわち、30年間石膏を使った地塗り管を吹いてきて、その
石膏管の限界に悩み苦闘してきたのです。幸い琴古流本曲の華麗な手も吹ける「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」を
手にできましたので、やっと「音味」の意味がわかったのです。
「尺八古今集」全文、どこをとっても読み応えのある文章ですが、特に私が感銘を受けたところを抜粋させていただきます。
著者の言わんとすることを曲解してはいけませんので、以下、私のコメントなしで引用いたします。
全体の見通しのために各章の題名を掲げます。
『尺八古今集』
第1章 尺八の世界性
第2章 吹く竹鳴らす竹
第3章 一人一流
第4章 免状の平価切下げ
第5章 尺八の単音性
第6章 見る尺八と聴く尺八
第7章 一音生涯
第8章 温故知新
第9章 音の陰陽
題10章 歌口のよしあし
〈引用1、p2〉
「東洋の水墨画が墨一色の濃淡、渇染によって万象を表現し、余白の空間に無限の余蘊を蔵するところは、普化の
禅尺八が音量を避けて音質に行き、一音に徹して無韻の中に万声を抱懐せしむるところと相通ずるものがある。」
〈引用2、p3〉
「琴古流の本曲、表裏三十六曲譜は、今日まで完全に伝わりながら、いずれの曲も千編一律、禅味も興味も共に希薄、
だらだら長いばかりで一向に胸に訴えるものがない。それを自流のあらたかな古典と奉って、面白くもないものを顰めっ
面して吹いているのは、見ている方が先に苦しくなる。琴古流の先生方は、すべからく「鉢返し」「鹿の遠音」「夕暮」ぐら
いを残し、他はあっさりと見送って、普化尺八を古典として研修するぐらいの雅量をもたねば、将来が危うい。
他方、普化尺八の一部の人が、唯やたらに有り難い、有り難いと法器尺八を押し戴いて、抹香臭い中で一音成仏の
自己陶酔をやっていても、近頃の青年で、尺八修行の当初から普化尺八へ入るのは、千人に一人もないはずだから、
このままでは門人の種切れになろう。(中略)
都山、上田の両派には、古典のないのが特色であって、それは同時に短所でもある。二十代、三十代はそれでいいが、
五十を過ぎると淋しくなろう
〈引用3、p7〉
「手にとってふわりと軽く、中を透かせば節だらけ、根は丸坊主に横曲り、そこいらに転がっている火吹き竹と変わらないのに、
かえって名管が多いものである。目で見ただけで良管が決まらぬところに、尺八の深味がある。ただ、それらの名管は、一様
にまんまるな竹であること、符を合わしたごとくである。」
〈引用4、p9〉
「今日吹いてよかったのが明日は思うにまかせず、朝に妙音を発して夕べにウンといわぬとなれば、それは、尺八そのものより、
吹く本人が生きものであることに気づきそうなものなのに、いかなるときでもよく鳴る尺八を、となるから、ついに一生できぬまま
終わってしまう。
古来名管といわれるものは、誰が吹いても容易に鳴るものではなく、ひと癖もふた癖もあるしぶとさをもっているもので、その
機嫌をとりなして妙音を発せしめるところに、吹法の苦心と妙味がある。」
〈引用5、p34〉
「尺八の真価は、竹という素材からでき上がった、特殊の音味を発揮するところにある。音質の吟味、味の味得が本領である。
これを音階本位に扱うことは、第二義である。
したがって、音律的、音量的に満足させようとするのは、竹という素材にとっては幾多の無理を負うのである。これを、なんとか
西洋楽器的に改良しようと様々な手を加え、改造したとたん、竹本来の味が殺されてしまう。つまり、角を矯めて牛を殺すことになる。
それでもなお協和音に執着するなら、ごくわずかの部分、たとえば「呼び返し鹿の遠音」の余韻の重なりや、胡弓の手からとった
巣籠の「地吹き」などの程度ならまだ許される。
しかし、現代本曲の、片や五人で「レ」を吹き、片や十人で「ロ」を吹いて、これ協和音でございといわれても、聴かされる方では
耳を塞ぎたくなる。
尺八のこんな行き方は理屈倒れで、作曲家と演奏者の自己陶酔以外のなにものでもない。それほどまでに洋楽の真似ごとをした
かったら、なぜ初めから尺八を棄てて洋楽器をとろうとしないのか (中略)」
つまり古典の精神とその玄妙を尋ねて、尺八本来の真価を把握したのち、これに時代の新風を吹き込む。時代感覚を取り入れる
ことは、あくまで必要である。」
〈引用6、p42〉
「尺八の音色の十中八九は、その吹く人の気息や唇によって定まるもので、音色の持ち味は尺八そのものより吹き手による、といえ
るのである。」
以上、ほんの少しの引用ですが、半世紀以上前のこの文章がまだまだ色あせていないことに驚きを感じます。これが尺八愛好家の参考になれば幸いです。機会を見つけて全文を読まれることをお勧めいたします。
〈演奏会〉尺八吹奏研究会第19回演奏会 新春小演奏会
出演 尺八:貴志清一 山本雅俊 他箏:菊苑 馨
日時 :2009年1月11日(日)2:00開演
場所:艶舞台
尺八独奏 「巣鶴鈴慕」(玉水銘 地無し延べ竹ごろ節一尺八寸管)
「山谷菅垣」他 尺八・箏合奏 「雨の水前寺」 他
○入場料(無料)
【備考】本演奏会は既に満席となっておりますので、お申し込みはできません。
あしからず、ご容赦下さい。
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