インターネット会報 No.84 2002年9月号(元会報170号)
{ご注意}[編者多忙のため、確実に返信をご希望の方は、往復ハガキにてお問い合わせください。(貴志)]
尺八吹奏研究会 第8回演奏会
尺八…古典本曲の名曲 & 箏・尺八二重奏
「鶴の巣ごもり」、「鹿の遠音」「千鳥の曲」、「惜別の舞」
その他
出演 尺八 :貴志清一 浦口康澄
箏 :菊波千鳥 菊苑 馨
日時 :2002年11月3日(日) 2回公演(1時からの部 3時からの部)○詳しくは文末をご覧ください。
「鹿の遠音」について
貴志 清一
琴古流本曲で秘曲として伝承されてきた「鹿の遠音」は、流派を問わず一度は吹いてみたい名曲だと思います。
幸い私は琴古流を習っていますので「鹿の遠音」は自分の演奏会のレパートリーのひとつでもあります。
この曲は“口伝”という、いわゆるムラ息の奏法が使われていて大変印象深い曲になっています。しかも、二管で牡鹿・雌鹿を模して掛け合う趣向はこの曲を一層素晴らしいものにしていると思います。
さて、この有名な「鹿の遠音」について、石綱清圃先生の素晴らしい解説が虚無僧研究会機関誌「一音成仏」に掲載されています。
(一音成仏第18号、23頁)
今回、このご論説の中で「鹿笛」について言及している箇所がありますが、これについて補足したいと思います。
いきなり「鹿笛」について述べても唐突ですので、石綱氏の文の要約をさせていただきます。
「鹿の遠音」考
・尺八本曲、鹿の遠音は楠木の角笛から出たものである。
・その仮説の裏付けが「滝川政次郎記 南北朝の亡霊」である。
滝川政次郎は、次のように述べている。
「三重県志摩郡和具町の水掛け祭を見にいったが、この地方にも室町将軍の弾圧のために地下にもぐった楠氏の子孫が残ってゐる話をきいた。虚無僧の間に伝はる尺八明暗流は地下にもぐった後南朝の遺臣等が互ひに味方を認識する合図の秘曲から発展したものであるといはれてゐる。後略」
○博士がさらにいう。
「明暗流という尺八の流派は、南朝の遺臣が互いに味方であることを知らす暗号から生れた流派であるといわれている」。
・軍陣の間に使われていた角笛は、仲間であることを確認し合うための暗号である。だから、そんなに長いメロディである必要はなく、二音か三音、あるいはせいぜい七、八音もあれば十分である。
・その短音型を何度か繰りかえし、応える側もまた何度か繰りかえす。これが何十年という長い間の積み重ねとなって一つの曲が生れてくる。すなわち「鹿の遠音」となって、遠く古い日の幻想をよみ返らせてくれるのである。
・そしてこの曲があまりにも名曲なので、昔から色々に解説されている。そのもっとも普遍的なのが、秋の発情期に際して、深山幽谷のなかに雄鹿が雌鹿を呼び、雌鹿がこれに応えるという筋書である。
・「鹿の遠音」は、演奏時間も手頃であり、また大部分を雌雄二手にわかれてのかけ合い形式をとっているので、緊張感が薄らぐということはない。しかも琴古流では早くから陰旋法にきりかえたので、悲痛な切実感が全篇にみなぎり、一つの詩劇としてその情景を目に彷彿たらしめるものがある。
以上が氏の論旨だと思います。
さて、氏の以下の文章で「鹿笛」が出てきますので、説明の便宜のため一部そのまま引用させていただきます。
「 …野生の鹿の呼び合いはむしろ雌のほうからはじまる。
キュウーツ・キュウーツという雌鹿の鳴き声にきき耳をたてた雄鹿は、興奮のあまり猛裂な勢いで突進してくる。そして半ば襲いかかるような状態で情を遂げるのだが、ここに人間という悪者が介在してくる。野生の鹿の習性を知りつくしたかれらは、雌鹿の鳴き声によく似た笛を考案し、これで雄鹿を誘い討うのである。これを鹿笛という。何と悲しく痛ましい笛なのだろう。
『徒然草』九段にいう。
「女のはける足駄にてつくれる笛には秋の鹿かならずよるとぞ、いひ候へ侍る」。
足駄とあるから恐らく木製の笛だろうが、どんな構造なのか皆目わからない。けれど兼好法師のころにはすでに鹿笛があったことは事実である。そして楠木党の吹く角笛が鹿笛と混同され、「鹿の遠音」となったとしても不思議はない。」
【貴志:補足】
さて、上記の「足駄と…・・どんな構造なのか皆目わからない。」と述べていますが、実際は兼好法師のころに勿論、この鹿笛は弥生時代の遺跡からも出土する有名なものだそうです。
私は実物は見ていないのですが、大学の考古学者から聞いた所では、平板にガマガエルの膜を張り、板に取り付けた吹き口でもってブーブー音を出すものだそうです。その音は発情した雌鹿の鳴き声に極めて似ているということです。
当然、牡鹿は、人間も同様ですが、悲しいかなその声に惹かれて突進してきます。そこで人間に捕まってしまうということです。
次の、考古学遺物の図がそれです。(IT会報では図は省略)
余談ですが、石綱清圃先生が引用した「徒然草」の段、全文を紹介しましょう。
読むと身につまされる思いがします。鎌倉時代から南北朝を生きた吉田兼好の人間観察眼の鋭さに今更ながら敬服します。
世の人の心まよはすこと、色欲にはしかず。人の心はおろかなる物かな。にほひなどは、かりの物ぞかし。しばらく衣装にたき物すとしりながら、えならぬ匂いには、かならず心ときめきする物なり。
くめの仙人の物あらふ女の、はぎの白をみて通をうしなひけんは、まことに手・あし・はだへなどのきよらにこえ(肥え)、あぶらづきたらん。他の色ならねば、さもあらむかし。
女はかみの(髪の)めでたからむこそ、人のめ、たつべかめれ。人のほど、心ばえなどはものいひたるけはひにこそ、ものごしにもしらるれ。ことにふれて、うちあるさまにも。人のこころをまどはし、すべて女の、うちとけたる。いもねず。みをおしとも思たらず。たゆべくもあらぬにも、よくたへしのぶは、ただ色をおもふがゆへなり。
まことに愛着の道、そのねふかく源とをし。六芸の楽欲おほしといへども、皆厭離しつべし。
その中にただかのもどひのひとつ、やめがたきのみぞ。老いたる
も、わかきも、智あるも、おろかなるも、かはる所なしと見ゆる。
されば、女のかみすぢをよれるつなには大ぞう(象)もよくつながれ、女のはけるあしだにてつくる笛には、秋のしか、かならずよるとぞ、いひつたへ侍る。
みづからいましめて、おそるべくつつしむべきはこのまどひなり。
尺八吹奏研究会 第8回演奏会
尺八…古典本曲の名曲
&
箏・尺八二重奏
「鶴の巣ごもり」、「鹿の遠音」
「千鳥の曲」、「惜別の舞」
その他
出演 尺八 :貴志清一 浦口康澄
箏 :菊波千鳥 菊苑 馨
日時 :2002年11月3日(日) 2回公演
@ 1時からの部 pm0:30開場 1:00開演
A 3時からの部 pm2:30開場 3:00開演
場所 :大阪府田尻町立「愛ランド・ハウス」茶室
難波-(南海本線、和歌山市行き)−吉見ノ里下車徒歩8分
○入場料1500円(会場準備の都合で、当日券はありません。)
※6才以下のお子様のご入場は固くお断りいたします。
○チケット取り扱い:
「第8回演奏会希望」とハガキに明記し、
Tご住所
Uご氏名
Vお電話番号
Wご希望の部(1時の部、又は3時の部)とご希望枚数
をお書きの上ご投函下さい。
折り返し入場券と会場案内を送付いたします。
なお、代金は当日、受付でご精算下さい。
○宛先 〒590ー0531 大阪府泉南市岡田2ー190 貴志清一 迄。
※会場が茶室につき、各部とも定員約20名でございます。
万一、満席の場合はその旨お知らせいたしますので、その節は悪しからずご了承下さいませ。
○お願い
尺八吹奏研究会の趣旨によりまして、本演奏会へのお祝い等は堅くご辞退申し上げます。