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     PDF紹介「1791年 エカチェリーナ二世が聴いた大黒屋光太夫の尺八」(虚無研会報 第81より転載)

 2022年の9月、所属している虚無僧研究会の会報81号に「1791年 エカチェリーナ二世が聴いた大黒屋光太夫の尺八」という記事を掲載いたしました。

 日本史教科書にも載っている天明期の漂流民・大黒屋光太夫と尺八のつながりについてのレポートです。

 紀州藩伊勢白子の神昌丸に乗った大黒屋光太夫以下17名が駿河沖で大風に遭い、帆柱まで失ってアリューシャン列島・アムチトカ島に漂着。

 艱難辛苦の末、カムチャッカ→オホーツク→ヤクーツク(冬は-50度にもなる)→イルクーツクと流れていきます。

 イルクーツクでキリル・ラックスマンに出会い、大黒屋光太夫はペテルブルクまで帰国嘆願のために行き、そこでエカチェリーナ二世に拝謁。

 極東政策の思惑とも合致したロシアは「漂流民送還」という人道的処置のもと、東アジアに勢力を広げ通商を求めて軍艦を仕立てます。

 それに乗せられて日本に帰ったのが1792年。但し日本の土を踏んだのはたった2人。想像も絶する厳しい環境のせいでした。

 この時のロシアの使者がアダム・ラックスマンで、大黒屋光太夫の帰国を親身になって助けてくれたキリル・ラックスマンの息子です。

 日本史上有名なロシアのラックスマン根室来航です。 これもとに井上靖は『おろしや国酔夢譚』を書き、後、映画にもなりました。

 その大黒屋光太夫は尺八を本曲「恋慕流し」が吹けるほどの腕前でした。

 エカチェリーナ二世に拝謁後、何回か日本のことや事物を紹介しましたので、恐らく100%近くこの女帝に尺八を聴かせたことは想像出来ます。

 ただ、残念ながら帰途、オホーツク港で帰国準備をしている間、当地の親しい高官に尺八を教え、

 また上達したので自分の尺八をプレゼントしてしまったと光太夫は書いています。

 もし、それがなかったら、いまでも大黒屋光太夫記念館(三重県)あたりに彼が吹いた尺八を展示していることでしょう。惜しいことをしました。

 大黒屋光太夫記念館のサイトは次の通りです。

https://www.city.suzuka.lg.jp/shisei/shisetsu/1004346/1010132/1014837/index.html

 こういう話なのですが、ご興味のある方はどうかトップページの○PDF資料集一覧 をご覧ください。