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 一尺八寸管は二刀流-地無しと地塗りの使い分け   貴志清一

 室町~江戸時代、尺八は虚無僧の修行の楽器(法器)でした。
吹く曲は各虚無僧寺に伝わった本曲。地歌や俗曲を吹くことは虚無僧宗規によって禁じられていました。
それゆえ、琴・三味線のように決まった音程を持つ楽器に尺八を合わせて合奏するということがありませんでした。
ひたすら音程は気にせず「音色の追求、精神性の追求」を尺八は専らにしてきました。

 明治以降に国家主導で西洋音楽偏重政策がとられますと、西洋のメロディー・ハーモニー(和声)・リズムを持つ音楽が素晴らしく、
それに外れた音楽は「音楽とは言えない」ということになりました。
 琴・三味線は辛うじてメロディー・とリズムを持っていますので「まあ、音楽としておこう」となったのですが、
メロディー・ハーモニー(和声)・リズムの3拍子とも持っていない尺八本曲はもう「音楽とは言えない」ということで
国家挙げて「本曲無視」ということになりました。
 それでも「本曲はすばらしい音楽・日本の宝物」だという少数の古典本曲を守る尺八家たちがいました。
お陰で尺八本曲の絶滅はさけられました。
 戦後、ヨーロッパの音楽家・音楽学者が「尺八本曲は素晴らしい音楽である」という尺八本曲の発見がありました。
とくに地無し管での本来の音色のすごさに彼らは驚嘆したのでした。
 奏者でいえば海道道祖。
 そのヨーロッパの尺八発見が日本に逆輸入されましてとくに日本の現代音楽作曲家の「尺八の再認識」に繋がりました。
 ちょうど、1800年代の中頃、瀬戸物の包み紙にしていた北斎の絵が西洋美術家を驚嘆させ、
やがて浮世絵の発見、それが印象派に強く影響を与えたようなものです。

 私は、本来の琴古流本曲の研究を細々積み重ねているのですが、
結論的には「琴古流本曲は地無しで吹くのが最良である」とわかりました。
琴古流本曲を得意とした故山口五郎も地塗り管とはいえ、一旦地(じ)を塗って研ぎ出すのではなく、
節抜き、地を重ねていくやり方の竹を使っていました。いわゆる山口「四郎管」。
 ですので、実際に四郎管を吹いて見て中をのぞいてみますと筒がボコボコでした。
地無しに近い地塗り管、これなら少しの顎と指の動きでメリが出るし、またそのメリ音が貧弱にならないはずです。
 
 前置きが長くなりましたが、尺八本曲を楽しみ、地歌合奏もする。
また吉崎氏の「哀歌」も吹き、流行歌や唱歌、たまにはシャンソンの曲も吹く。
尺八をまるごと楽しむには地無し・地塗り管の2本は必需品になってきます。しかも高いレベルで製管された竹。
 大阪に住んでいますので幸い縁あって河野玉水工房のお世話になり、そういう地無し・地塗りを使ってこれました。
 地無しに関しては何度も紹介していますので、地塗り管との地無し管の曲目の比較をしましょう。
決して優劣ではなく、特性という視点からです。

https://comuso.sakuraweb.com/bamboo443.htm



○尺八本曲・・・地無し管使用
(必要条件)メリ音が容易に出る。
      音色が味わい深い。
  
○地歌合奏・・・地無し管使用
 (必要条件)メリ音が容易に出る。
       音色が優しく糸方の邪魔をしない。
 (但し、広い舞台で尺八を聞かせるという目的の場合は地塗り管)

○現代曲・・・地塗り管
 (必要条件)音程が安定している
       比較的大きな音が必要
       音の立ち上がりの良さがある程度必要

○流行歌や唱歌など・・・地塗り管
 (必要条件)上記に同じ。

 それでは実際に地無し管で吹いた「鹿の遠音」と地塗り管での「壱越」のさわり、「ジュピター」をお聴きください。

 「鹿の遠音」

 「壱越」のさわり、「ジュピター」


 ご感想もお待ちしています。
   kiyosan@dune.ocn.ne.jp

(追記)
 この音源の地塗り管(金一線巻)ですが、所謂高級管。ということで初心者にとってはなかなか難しい。
 素直な息で乙ロが出るのですが、それを豊かな音色にするには修行と工夫が要ります。所謂「初心者泣かせの高級管」です。
 私の「尺八吹奏法Ⅱ」にある「口腔前提理論」を使って力のこもった息が必要です。
 しかも、甲音は少々手強くて、この上唇裏の空気部屋(口腔前提)へ横から息が流れ込む感じでしっかり腹式呼吸で支えます。
 ちょうど「壱越」作曲の故山本邦山師の吹き方のごとくです。
 文字ではなかなか伝わらないのが残念ですが、山本邦山師の動画記録を探して見てください。
 私の教室生も毎回お稽古の時に私を見ているのですが、この口腔前提理論は少々理解するのが難しいようです。
 しかし、生徒の皆さんは頑張っています。