会報 No.51

『三節切初心書』を読む−その1

貴志清一

はじめに

 虚無僧尺八の歴史上始めての入門書という誠に価値の高い資料が出版されました。古典文庫の『三節切初心書』という本です。

 ただこの書籍は会員制の配布とのことで尺八吹奏研究会の中でも入手した方は少ないのではないでしょうか。

 購入された方も内容について、まだ詳しく点検なさっていないかも知れません。

 そういうわけで、日本史についての素人である私が素朴に考え、気のついたことを記して今後の参考にしたいと思います。

 この拙文の元になりましたものは神田可遊氏の『尺八通信9号』掲載「三節切と『三節切初心書』」です。

 従いまして氏の「三節切と『三節切初心書』」を読めば私の拙い説明など不用なのですが、上でも述べましたとおり”尺八の好きな歴史の素人が”素朴に思った事柄も何らかの参考になるのではないかと考えるのです。

 

なお、以下神田氏の「三節切と『三節切初心書』」からの引用は

Eと表示させていただきます。「」は表示しません。引用のおわりは改行で示します。

 

1,三節切について

 E虚無僧の「法器」たる尺八はかなり長い間、根節を使わず、わずかに三節からなる「三節切」と呼ばれるものであったらしい。

 明応三年(1494年)成立という「三十二番職人歌合わせ」の吹く「虚妄僧」が吹く尺八は三節のようである。

 

 私も一度京都明暗寺の本曲献奏大会にて虚竹禅師像の前で吹かしていただきましたが、その禅師像は三節の尺八らしいです。

 勿論この『三節切初心書』の絵は虚無僧が三節切を指南しています。

 

 さて、本文を読んでいきましょう

  三節切序(みよぎりじょ)

 

それ尺八は其濫觴(そのらんしょう)まちまちにてさだめがたし。むかしよりぼろぼろの家に用ルものとも聞し。其道(そのみち)人のもちゐ此道をまなばさらんもなし。

然共(しかれども)其心深からずして容易極ル事(きはむること)得がたし。さればならはずして図を覚 吹覚(ふきおぼへる)道の書也。しかりとて 勝てしらざる人

のもちゐ給ふ物にてもあらす。しかし拍子ゆびづかいを覚なばなどか少ハならざるべき、若此道にさよハり。此書をたよりとせばいか成大事も吹覚。ふき出すべきもの也。よくよく心をとめ 書の趣(おもむき)かんがへへき也

 

○ 序を読む

 この『三節切初心書』の成立年代から考えていきます。

 E『三節切初心書』の刊行年代は貞享・元禄年間と想像される。しかし本書に「本手」(尺八本曲)が含まれていないとはいえ、虚無僧尺八の譜本であること間違いない。

 

 貞享・元禄年間といえば今から300年ほど前です。その時期に本文に有るとおり「尺八は其濫觴(そのらんしょう)まちまちにてさだめがたし。」ですから、平成の今となってはより定め難いのでしょう。

 この中で「若此道にさよハり。此書をたよりとせば いか成大事も吹覚。ふき出すべきもの也。」でこの時期に秘伝・口伝の弊害がなかったことが伺われます。

 いわゆるこの本は手引き書であり、また独習書でもあります。ただここでも云うとおりやはり「勝てしらざる人」は学びがたいのも事実です。

 これは今でも言えることで、いい指導者というのはどんな苦労をしても探すべきなのでしょう。

 よく言われる言葉ですが、「修業時代は200万円の楽器を買うよりそのお金でよい先生の所へレッスンにいく方が賢明である。」ということです。

 

○ 三節切の一般的注意

 原文は次のページからです。

 「当流らんぎょく本手之次第。わづか其かたち斗(ばかり)を彼是書集(かれこれかきあつめ)。」と有ります。乱曲は尺八本曲以外の流行歌やその当時のDに合わせたものです。そして本手というのは「本曲」即ち尺八本曲です。その乱曲と本曲をわずかばかり集めたのですから、当時としても割合多くの曲があったことが伺われます。井原西鶴の「武道伝来記」を読んでも江戸時代の初期に女人が夫の敵討ちのため虚無僧になりすまして(男装して)「鶴の巣ごもり」を練習後、敵を捜しに旅に出る。と有ります。

 糸竹初心集にも虚無僧の曲をいくつかあげています。

 以前の会報49号にも述べたごとく

一、・・尺八の手本曲を可為修行、乱曲吹候事不相成候、勿論指南所不申及、於面々之宅、尺八を琴三味線合候儀急度停止申付候事

・・・・・元禄七(1694年)・・・・・

     虚無僧本寺 京都虚霊山 明暗寺

       

とあるように乱曲は禁止しています。すると、この『三節切初心書』を当の虚無僧が書くでしょうか。出版は京都(E)ですからお膝元でそんな規則破りをする虚無僧もいないでしょう。そこで本文です。

 「我道にあらざれば其心浅して 深元によらざるをなげく」のですから、三節切(虚無僧)」は私の道ではないのです。恐らく此は想像ですが、一節切の上手い人が三節切も吹いていて、この『三節切初心書』の出版に踏み切ったと思われます。

(本文読み)

一抑三節切(そもそもみよぎり)の起れる元をたづね。深(ふかき)にいたらん事 他念(たねん)なきもの

なれ共。我道にあらざれば其心浅して 深元によらざるをなげく

といへ共。夢にたにミずしらぶべき音もしらず。然るに当流らんぎ

ょく本手之次第。わづか其かたち斗(ばかり)を彼是書集(かれこれかきあつめ)。三節切の手

として徒(いたづら)に書のはしと記す物ならし

 

  三節切初心書目録

一当代三節切之事 付吹様之事

一三節切指遣(ゆびづかい)    併図立之事

一打指(うちゆび)同D証歌(しょうが)之事

一本手(ほんて)之次第

 

一 三節切吹様(ふきよう)之事。人の吹にこころを付左右之手の置所(おきどころ)を見るべし。

たとへハD(うた)をふかんとおもわば先其D。ふしはかせをよくそらにて覚。ほど拍子かたをしるべし。拍子Dをしらずして尺八にうた合さん事中ゝ成(なかなかなり)がたき事也。先はじめにハ筒音(つつね)をよく出すべし、音色あしくてはおぼつかなし。調子(ちょうし)もうつらぬ物なれば少ほそき竹にて筒音吹ならふが専一也

 

さていよいよ吹き方に入ります。

 「たとへハD(うた)をふかんとおもわば先其D。ふしはかせをよくそらにて覚。」ここで「ふしはかせ」は節博士で音符のことです。しかも暗譜をしなさいと云っているのは現代でも同じです。

 そして「先はじめにハ筒音(つつね)をよく出すべし、音色あしくてはおぼつかなし」というのは今も昔も同じです。筒音ですから乙ロ吹ですね。そして乙ロが出にくい時は少し細い竹を使いなさいと云っています。

 それにしても『乙ロ吹き』練習ががこの頃より有るのは感心します。