四国尺八遍路パート2 香川編⑦ 土井通有
○第7日 2023年10月3日(火) 晴れ
ゲストハウス琴平を6時20分に出発して満濃池のほとりにある神野寺(かんのじ)を目指します。片道6.1キロの道のりを金倉川の右岸をたどって行きます。そしてやがてまんのう町に入り、道は少しずつ登りになります。最後は満濃池の堤を急登して池の見える上に出ます。
高台にある別格第17番神野寺(五穀山 本尊:薬師如来)に到着(7:50)。この寺は、弘法大師が嵯峨天皇の勅命(弘仁12年(821))により、決壊していた池をわずか3ヶ月で改修し、完成させたということです。その功績により天皇から褒賞金を賜り、満濃池鎮護の寺として建立したそうです。お寺は天正9年(1581)焼失しましたが、昭和9年に弘法大師一千百年御遠忌に再建されました。
(写真① 神野寺の境内にある大師像 満濃池を見守っている)
(写真② 堤から見る満濃池)
来た道を戻り琴平町に向かいます。時間に余裕があれば、金比羅宮にお詣りすることにしていたので少し急ぎました。
その前に朝食は、金比羅宮の手前のうどん屋で細麺(普通の讃岐うどんは太麺)の冷たいぶっかけうどんをいただきました。
なかなか旨いお出汁と喉越しのよい麺でした。
午前10時には金比羅宮の下の鳥居に到着。階段は785段、奥社までは1368段あります。
今回は奥社へは次の札所に急ぐので省略することにしました。さて息を切らせながら本殿に到着。社務所からの眺める讃岐平野は絶景です。
(写真③ 金比羅宮)
(写真④ 社務所からの讃岐平野)
(写真⑤ 鳥居の下にいたサバトラの猫)
午後11時前には金比羅宮を下りて、預けておいたリュックを取りにゲストハウスに戻りました。
そして荷物を詰め直して出発、国道を北に向って金倉寺を目指します。
午後1時、第七十六番金倉寺(鶏足山 宝幢院 本尊:薬師如来)に到着。この寺は、弘法大師の甥の智証大師の誕生した地である。
智証大師の祖父・和気道善が建立しました。いつものように納経して御朱印をいただいて寺を後にしました。
頃も良いので、昼食を食べようと門前のうどん屋に入ると、ちょうど温かいうどんをきらしてしまったとのこと。
仕方なく少し歩いて別のうどん屋に入りました。人気店のようで、多くのお客で賑わっています。
メニューは「釜揚げうどん」だけなのです。やっとのことで温かいうどんにありつくことができ、腹からぬくもりました。旨かった。
(写真⑥ 金倉寺本堂)
(写真⑦ 釜揚げうどん「長田in香の香」)
午後2時30分うどん屋を出発。道隆寺に向かいました。
第七十七番道隆寺(桑多山 明王院 本尊:薬師如来)に到着(15:25)。この寺は、和気道隆が和銅5年(712)に開基しました。
弘法大師が薬師如来を彫造し、その体内に道隆公の像を納めて本尊としました。寺号は和気道隆に因んでいます。
この寺に行く道すがら一人の若い男性遍路と出会い同行しました。話を聞いていると足の調子が良くないそうで、
水ぶくれができて困っているようでした。
私も以前にそんなことがありましたので、「こまめに休憩をとって、靴を脱いで足を乾かすのがいいようです。」とアドバイスしました。
さて参拝を終え御朱印をいただくことになりましたが、納経所には団体さんの添乗員がまとめて朱印をいただいているようです。
なかなか順番が回りません。御朱印を書く人も一人で対応しています。やがて数人の行列ができてしまいました。
私はこれで打ち止めにするのでゆっくり待つことにしましたが、先ほどの若者は次の札所を目指していたのです。
残念ながらあきらめざるをえませんでした。単独者には先を譲ってほしいものです。まあ仕方がないのでしょうか。
これも修行の内と考えましょう。
(写真⑧ 道隆寺本堂)
今日の宿は寺から1キロほど西の多度津町の駅前にあるビジネスホテル「トヨタ」を予約していました。
多度津駅は土讃線と予讃線が別れるところで、駅は大きいのですが、駅前には繁華街らしきものがありません。
それ故、夕食はホテル1階のレストランでとることにしました。
そしていつものようにホテルのランドリーで洗濯をし、シャワーを浴びて就寝しました。明日は別格の海岸寺が最初の札所です。
歩行距離:32.2キロメートル 所要時間:10時間