「尺八を吹くのが苦しい」-小野田さんに学ぶ尺八修行 貴志清一
私、弱小ですが尺八吹奏研究会を持ち、生徒数は極端に少ないとは言え尺八教室を開いています関係で
上記のような「尺八を吹くのが苦しい」という相談をしばしばお受けします。
あれこれ考えて助言をするのですが人の心の動きというのは如何ともしがたいものがあります。
「尺八をキッパリ止めるのも一つの問題解決方法です。
人間、楽しんでできない苦しいことは心の負担になって体に良くないからです。」と、
もう口元までこの言葉が出かかっているのですが「それを言っちゃおしまい」なので何時も押さえています。
これは結局私の力不足による不適切な助言なので、ここはひとつ厳しい人生を生き延びてきた小野田寛郎氏に登場してもらいましょう。
かれの自筆文を見て下さい。
この額装幀の小野田寛郎自筆を拝見したのは彼の実家である和歌山県海南市の宇賀部(おこべ)神社に2023年11月30日に参拝した折りです。
太平洋戦争の無条件降伏による敗戦を知らずに30年もの間フィリピンの密林で戦い続けてきて1974年になってやっと帰国した人物が小野田さんです。
善悪を越えた特殊な戦争という状況下、すなわち「殺さなければ殺される」という中で任務を遂行してきた人です。
詳しいことは「1974年発行:わがルバン島の30年戦争」をご覧下さい。
さてこの小野田さんの言葉を安易とは言え、尺八修行に当て嵌めましょう。
「尺八愛好家は、目標があれば吹き続けられる。
もし尺八を吹くのが苦しくなったら
どんな小さな事でもいいから目標を見つけることだ
その実行のために吹くことだ
尺八を止めるという選択肢を選んではならない
なぜなら尺八愛好家は、尺八を「吹く」ために始めたのだから」
上記の小野田さんの言葉は値千金だと思います。
そして、もし尺八を今も習っているのでしたら、たとえ月に1,2回のお稽古でもそれまでに練習しておかなければならない課題があります。
それこそ小さいながらしっかりした目標でしょう。
少々上達しても師匠の所に通うというのは絶大な尺八継続の効果があります。
また年に1,2回の発表会や勉強会をされる先生のところですと琴・三味線との合奏も経験できます。そのこと自体が大きな目標になります。
何れにしましても尺八が苦しく感じられたら、 「どんなに小さくても 目標を決めて 毎日吹いていきましょう」
○宇賀部神社(おこべ)について。
日本書紀に記述のあるこの地方の豪族の女首長「名草戸畔(なぐさとべ」
の首級を祀った神社です。江上波夫の言う「ツングース系の扶余族が朝鮮半島へ侵略、半島を経て九州へ侵略・留まり、
かなり定着してから畿内地方を侵略」した天皇家に繋がる勢力に対して戦った女首長の首級です.
日本書紀(神武紀)によると名草戸畔は負けて殺害されました。
地元の言い伝えですと、名草戸畔の体は頭(首)、胴、足に切断されたようです。
その3つを地元の人たちが手厚く葬り3つの神社として大切に守ってきました。
その首を祀ったのがこの神社の裏の山の頂上です。
そしてその名も「頭=こうべ、御こうべ、おこうべ、おこべ」と変化、いまの 宇賀部(おこべ)神社の由来になったと言うことです。
すなわち、神武天皇という名称の裏にあるこの地方のへの天孫族侵略に対して戦った時期があったということです。
江上氏によると倭の五王の少し前の侵略ですが、地元では徹底抗戦し、今の大阪・和歌山の上陸はできず、
熊野まで行き紀伊半島の中央を道無き道を上り大和に入った?というのがそのあらましです。
ちなみに、この低い山に登りました。国土地理院の地図で確かめますとこここから西北西の神奈備としての名草山が遠望できたはずです。