葛城修験二十八宿 尺八巡り
No.2 第一経塚 友が島 貴志清一
前回は修験道や犬鳴山を中心にした葛城修験、そして役行者が法華経二十八品を埋めた経塚のことについて述べました。
今回は順序としてとりあえず第一経塚のある和歌山市の友が島についてです。
友が島といっても有名な観光名所でもないので和歌山県人全員よく知っているわけではありません。
その友が島ですが、左に沖の島、右に地の島があります。
第一経塚のある虎島という小さな島はかろうじて沖の島と繋がっていて干潮の時だけ渡れたのですが今は岩の崩壊が激しく一般の人は行けなくなっているようです。
写真の中央の餅の形の島が虎島です。その向こう側が兵庫県の淡路島。
(写真1)
ここの経塚は行けないところですので今回は虎島のよく見える加太にある行場、「行者堂」に行くことにしました。
2023年9月7日、大阪府泉南市の岡田浦駅から和歌山市方面行き紀ノ川駅で加太線に乗り換えました。15分ほど乗りますと磯ノ浦駅あたりから、
「和歌浦に 潮満ちくれば 潟を無み
芦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」
と詠まれた片男波(かたおなみ)の砂州がかすかに見えます。
その向こうは海南市で山の端が海に落ちているあたりが熊野古道の藤代峠です。
どうも悲運の有間皇子が殺害されたのはその辺りのようです。しばし古代史に思いを馳せていますと加太駅に着きました。
(写真2)
行者堂を目指してしばらく行くと地元の中学校のフェンスに大きな文字で〈日本遺産葛城修験〉と張り出されています。
(写真3)
このシリーズの葛城修験二十八宿は2020年、日本遺産に登録されています。
いわば国の誇る重要な文化遺産ということです。これは文化的価値の高いものを一般の人にも広く知ってもらえるというたいへん良い制度です。
和歌山県にはもう一つ上の世界遺産として「紀伊山地の霊場と参詣道」もあり歴史的に豊かな県だと思います。
さて20分ほどで修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)像を安置した行者堂への石碑に着きます。
(写真4)
標高47mの阿字ヶ峰という小高い丘に行者堂があるので登りは急でしてひと汗かきました。
例年なら9月に入っていますので秋風が涼しいはずなのですが今年の暑さは異常としか言いようがありません。
来年は正常な気象に戻ってほしいと願うばかりです。
(写真5行者堂)
行者堂に着き頭を深く下げてお参りします。振り返りますと北西の方角にはっきりと友が島が見えます。
左の沖の島にくっつくように経塚のある虎島が見渡せます。むしろ、虎島が見渡せるようなところに行者堂を造ったのだと思います。
友が島の向こうに見えているのが淡路島です。虎島と沖の島が繋がったように見えるところに空洞があり、ここに経塚が存在します。
まずは遙拝ということにしました。
(写真6)
さて誰もいませんでしたので地無し尺八を取り出して竹調べを始めました。
すると石段の下から2本の杖でゆっくり登ってこられる老女の姿が見えました。
急坂でさぞたいへんだっただろうと思ってみていますと近づいてきてくれて声をかけてくれました。
(録音1)
492-録音1.MP3 へのリンク
「・・・・・行者さんの日で・・・・・」とのお話に、はて何のことかな?と考えていると、おそらく役行者に因んだ日が今日なのだと思い帰宅して調べてみました。
舒明天皇六年(634年)生まれの役行者は大宝元年(701)6月7日に没しています。すなわち7日が月命日なのです。
それでこの方は老体に鞭打って登ってこられたのです。
お参りの邪魔をしないように堂の裏手に回って竹調べを続けました。
本当は静かにしているべきなのでしょうが、大きな音で法螺貝を鳴らしているときでも般若心経を唱える修験道ですのでお経の代わりにもなる尺八の音ですと許してもらえると思って吹いていました。
そのおばあさん(私も今年で70才ですので十分おじいさんですが)はお参りを終えてわざわざ声をかけてきてくれました。
(録音2)
492-録音2.MP3 へのリンク
聞きますと尺八の音は邪魔などころか、聴けてよかったとおっしゃいました。また帰りがけには、
「よけ(余計に=その上)元気になりそう」と喜んでくれました。
この言葉に、「やはり尺八の音は人の心に何かを与える力があるのだ」ということを再確認した次第です。