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四国尺八遍路パート2 愛媛編⑦            土井通有
○第4日 2023年5月26日(金) くもりのち晴れ
 今日は松山市内の八ヶ寺を参拝します。このため宿の朝食をキャンセルして、早朝から歩くことにしました。
総距離は30キロほどで、さらに一つのお寺のお参りは30分ぐらいかかります。
これにより今日の行程は10〜11時間はかかります。
打ち止めの円明寺には午後5時までに着かないと朱印を受けることができません。ということで早出を選択しました。

 5時48分出発。昨日お参りした浄瑠璃寺の境内を抜け、田園地帯の遍路道をたどり、1キロほど歩きます。
第四十七番八坂寺(熊野山 妙見院 本尊:阿弥陀如来)に到着。役行者小角が開基と伝えられ、1300年の歴史があります。
その後越智氏が堂塔を建立したさいに、8ヶ所の坂道を切り開いて創建した事から寺名になっています。
また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来するそうです。のちに弘法大師が荒廃した寺を再興して霊場としました。 
 
  (写真① 八坂寺)


 いつもの作法で読経し、御朱印をいただき次の寺に向かいました。
また1キロほど歩いて、別格第9番文殊院(大法山 本尊:地蔵菩薩 文殊菩薩)に到着しました。
大師は当院の文殊菩薩に導かれて寺に滞在して、人々に教化されました。
河野衛門三郎は謝罪のために遍路に出て、八ヶ年で21回巡拝し、ついに大師と再会する。
これが遍路の始まりでもある。この寺は河野家の菩提所になっています。
  
     (写真② 文殊院)  


 ここで少し問題が発生、早く着きすぎてまだ午前7時前だったので納経所がまだ開いていなかったのです。
仕方なく境内にいる「人なつこい猫」と遊んで待つことにしましたました。一つ前の八坂寺は納経所が開いていました。
これは運がよかったのですね。 

 (写真③ 文殊院の猫)


 さて次の西林寺に向かいます。住宅地と田園地帯が連なる道をすたすた歩き、ふと気がついて少し来すぎたようだと思い、
近くを通った女性に尋ねると「ここは砥部町で、この道をまっすぐ戻りコンビニのある辻を左に曲がるとよい。」と教えられました。
やっぱり山道より平地の方が道を間違えやすいですね。
教えられたとおり行くと30分ほどで、第四十八番西林寺(清滝山 安養院 本尊:十一面観世音菩薩)に到着しました。
この寺は行基菩薩の勅願により、国司の越智玉純公とともに一宮別当として松山市小野播磨塚あたりに建立されました。
のちに弘法大師が四国巡礼中この寺に逗留し、寺を現在の地に移して四国霊場と定めました。

    (写真④ 西林寺手水場の竜頭)


 松山市郊外の町並みを歩こと45分、第四十九番浄土寺(西林山 三蔵院 本尊:釈迦如来)に到着しました。
浄土寺には空也上人像が本堂に安置されている。
「南無阿弥陀仏」を唱え、道路補修し、橋を架け、井戸を掘って民衆を救った遊行僧、念仏聖である。

  (写真⑤ 浄土寺山門)


 先を急ぐこと30分ほど、伊予鉄道の踏切を越えてしばらく行くと、第五十番繁多寺(東山 瑠璃光院 本尊:薬師如来)に到着しました。
 この寺は、京都の泉湧寺と関係が深く後小松天皇の勅命により泉湧寺の快翁和尚が繁多寺の第7世住職になるなど縁がある。
また、四代将軍家綱の稔侍仏としていた歓喜天を祀るなど大寺として栄えました。
   
  (写真⑥ 繁多寺の鐘楼と奥に見える大師堂)


 昼も近くなり、少しお腹がすいてくる頃となりました。
道後温泉に近づき交通量も多い道を歩いて40分ほど、第五十一番石手寺(熊野山 虚空蔵院 本尊:薬師如来)に到着しました。
この寺の由緒の一つは衛門三郎にあります。
 『伊予の領主河野家の一族に衛門三郎という豪農がいました。強欲で情けもなく人望もありませんでした。
ある時、みすぼらしい僧侶が門前に現れ托鉢しようとしましたが三郎は追い払いました。
その後も僧侶は托鉢に現れ、ついに八日目堪忍袋の緒が切れた三郎は、僧の鉢をたたき落とし割ってしまいました。
以降僧は現れなくなりました。その後、三郎の家では不幸が続き八人の子供は次々亡くなります。
打ちひしがれる三郎の枕元に僧侶が現れます。そしてかの僧が弘法大師であることに気づきました。
以前の振る舞いを悔い改めた三郎は、四国巡礼に旅立ち弘法大師に会ってお詫びすることにします。
しかし20回巡礼しても会うことができません。
そこでそれまでとは逆にまわることにして、この巡礼で12番焼山寺の近くで遂に力尽き病に倒れます。
死の直前に弘法大師が現れ、過去の過ちを詫びます。
大師は三郎に望みを聞き、来世では河野家に生まれ、人の役に立ちたいと願います。
大師は石に「衛門三郎再来」と書き三郎の手に握らせました。翌年、河野家に左手を握りしめた男の子が生まれました。
手が開くようお寺で祈祷してもらうと「衛門三郎再来」と書いた石が出てきました。そしてその石はお寺に納められました。』
 この石手寺には国宝の仁王門をはじめ、重要文化財の本堂、三重塔、鐘楼など数多くの文化財があります。 
 
 (写真⑦ 国宝仁王門)


  (写真⑧ 重文 三重塔)


 石手寺山門の向かいのコンビニで昼食を買い求め、外のベンチでいただきました。
そして足を乾燥させていると、男性に声をかけられ「どこから来たのか」などいろいろ話しかけられました。
おかげでゆっくり時間をとって休むことができました。  
  (次回に続く)