四国尺八遍路パート2 愛媛編⑥ 土井通有
○第3日 2023年5月25日(水) くもりのち晴れ
今日は、朝食をキャンセルして6時前に45番岩屋寺に向けて出発しました。道路をしばらく進み、遍路道に入ります。
6時半には分岐に至り、ここからは八丁坂の遍路道を選びました。岩屋寺までは3.6キロほどあります。
山道を進み7時半には岩屋寺に到着しました。山間の道には石仏が並び、坂を下ると仁王門が出迎えてくれます。
ほっとする瞬間でした。
第四十五番岩屋寺(海岸山 本尊:不動明王)ここは標高700メートル、奇峰が天をつき巨岩の中腹に堂宇がたたずむ山岳霊場です。
ここに大師は不動明王を刻み本尊として安置しました。また寺域は国の名勝で、大師堂は国指定重要文化財となっています。
(写真① 岩屋寺仁王門)
(写真② 岩屋寺大師堂)
いつものように読経して尺八の吹奏をしました。その後、御朱印をいただきましたが・・・
ここで問題発生。岩屋寺は宿の「八丁坂」を起点に打戻になるので、宿に荷物を預けて往復することにしました。
そのためサブザックに朱印帳などを入れて軽装備での参拝になりました。
それゆえ賽銭は持っていたのですが、肝心の財布を忘れてしまいました。つまり御朱印代がないのです。
とりあえずお借りして、宿の「八丁坂」に帰ってからご主人に朱印代をことづけることにしました。冷や汗ものです。
岩屋寺を下山して、県道を歩き途中で遍路道に入りました。そして宿には9時半頃に戻りました。
早速、ビニール袋に朱印代と収め札(名刺代わり)とお礼の手紙を入れて宿に預けました。
ご主人には快く引き受けていただき、感謝してまた安心もしました。
さて宿の「八丁坂」を10時に出発し、道を行くと車が止まり、不審に思っていると、
男性がトランクから何かを持ってこちらに来て、冷えたお茶を差し出されました。お接待なのです。
丁重にお礼を言ってお受けしました。さて今度は峠御堂トンネルを抜けて久万町の街並みに入っていきました。
コンビニでおにぎりなどを買って早めの食事をとりました。
(写真③ 岩屋寺にて尺八吹奏)
(写真④ いやしの宿八町坂)
ここからは北に向かい三坂峠を目指します。街並みを過ぎ、緩やかな坂を登っていくと明神という所にさしかかったとき、
地元の女性に呼び止められ「少し休んでいきなさい。」と誘われました。
冷たいカルピスをいただき遍路のことや壁に貼ってあった石鎚山のこと(彼女は年に数回登っているそうです。)などなど話をしました。
年齢を聞くと80歳を超えているそうで、とても元気で驚きました。そして暖かいお接待に感謝しました。
そこからさらに40分ほど登り、峠に着きました。ここからは国道を離れて遍路道に入ります。そして急な山道を下ります。
1時間ほど下ると昔からあるお遍路休憩所「坂本屋」に着きました。だだ、今日は休みのようです。
そこから30分ほどで歩くと網掛石があります。
これは弘法大師が、三坂峠の邪魔になっている2個の巨石を葛で作った網で運ぼうとしたとき天秤棒が折れ、
一つは川に、もう一つは榎(地名)の遍路道に落ちたそうです。榎に落ちた石を大師像と共に祀られています。
ここからさらに40分ほど歩いて15時45分に、第四十六番浄瑠璃寺(医王山 養珠院 本尊:薬師如来)に到着しました。
この寺は、松山市の八ヶ寺の打ち始めになります。正岡子規の「永き日や 衛門三郎 浄るり寺」の句碑があります。
また遍路の元祖といわれる右衛門三郎のふる里でもある。
この寺、奈良時代の行基菩薩の開基で、薬師如来を彫り本尊としました。
後に弘法大師が荒廃した伽藍を修復し、四国霊場の一寺としました。お寺は木々が茂り、森の中にいるようです。
なかには樹齢千年のイブキの大樹あり、信仰を集めています。今日の打ち止めに尺八を本堂前で吹きました。
(写真⑤ 浄瑠璃寺 石段の左に句碑)
(写真⑥ 本堂にて尺八吹奏)
(尺八音源「手向」浄瑠璃寺にて)
483-0iousanjororiji.mp3 へのリンク
今日の宿は、門前にある「長珍屋」です。ホテルのような遍路宿で食事も美味しかったです。明日に備えて洗濯などをして早めに就寝しました。
歩行距離:36キロメートル 所要時間:10時間26分