四国尺八遍路パート2 愛媛編② 土井通有
○第11日 2023年3月18日(土) 雨のち晴れ
昨日はチェックイン後に夕食を買うために街に出ました。
スーパーフジというのが近くにあり、ここで美味しそうなものを見繕い、一緒に明日の朝食も買って持ち帰りました。
ここでも旅割クーポンが使えて助かりました。部屋に帰り、シャワーを浴びて食事をとることにしました。
実は、私の向かいの部屋にはS氏が宿泊していました。ホテルでなぜ部屋が分かったかというと、
私のリュックサックには熊よけの鈴がついており、部屋に入るときの「チリン」という音でS氏が気づいたのです。
食事をしてからこの偶然は何かの縁かと、1時間ばかりこれからの行程などを話し合いました。
彼も三間町に宿がないのでこの先の宿泊地に苦慮しているようでした。
さて今日の朝は、宇和島駅6時の始発列車に乗り、昨日の三間町の務田駅にて下車しました。
雨上がりの道を5キロほど先の第四十二番仏木寺(一力山 毘盧舎那院 本尊:大日如来)に向かいました。
遍路初めの読経をし、旅の安全などを祈願して尺八を吹奏しました。
仏木寺は牛の背に乗った弘法大師の伝説があり、牛馬の守護札を授けていたことから、今ではペット全般の供養をしています。
(写真① 仏木寺茅葺き屋根の鐘楼)
(写真② 仏木寺にて尺八吹奏)
ここからは山道に入り、歯長峠を越えます。約3キロの登りのあとトンネルを越えて卯之町へ下ります。
西予市宇和町卯之町にある第四十三番明石寺(源光山 円手院 本尊:千手観世音菩薩)には10時50分に到着しました。
小高い山にあるのですが、麓からの登り口がわかりにいので、道を尋ねながら歩きました。
豊かな森の中にある立派な伽藍です。いつものように読経して、尺八を奉納しました。
(写真③ 明石寺本堂)
(写真④ 明石寺境内で尺八吹奏)
明石寺(めいせきじ)は、6世紀前半欽明天皇の勅願にて円手院正澄という行者が七堂伽藍を建立し、
のちに寿元という行者が紀州熊野から12社権現を勧進して修験道の中心道場としたそうです。
その後荒廃した伽藍を見た弘法大師が法華経を納め、諸堂を再興しました。
江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺70を数えるようになりました。
参道の脇から遍路道があり、山道を経て卯之町の町並みへ入っていきます。
卯之町は、愛媛県歴史文化博物館、旧開明学校(重文)などがあり、
白壁やうだつのある町並みが重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
戦国時代は西園寺氏の居城があり、松葉城の城下町でした。
また城が移されてからは明石寺の門前町、宇和島街道の宿場町として栄えました。
(写真⑤ 卯之町の伝統的建造物)
卯之町の休憩所ではコンビニで調達の食事をとり、靴を脱いでのゆっくり休憩を取ってから出発しました。
さて今日は鳥坂峠を越えて大洲市に入ります。
ここ宇和町も少し高原で鳥坂峠を越えると肱川の辺にある大洲市街までは長い下りになります。
峠越えの遍路道がありますが、今回は鳥坂トンネルを行くことにしました。
ただしトンネルは狭く歩道もないのです。
長さは約1000メートルあまりありをトラックやスピ−ドの上げた車に注意しながらの危険な遍路でした。
峠を越えると登ったよりずっと長く大洲の街まで下ります。
この坂道も国道には所々歩道がなく、歩道があっても狭く草が生え、ゴミが散らばる悪路でした。
午後4時半、やっとのことで大洲に到着。肱川の橋のたもとでは奇遇にもE氏と再会しました。
一昨日はついに宇和島市内のホテルが見つかり、今日は宇和町から歩いているとのことです。
これからさらに内子町に向かって歩くそうです。あと10キロ余りあります。いつもながら頑張るE氏です。
私のほうは明日に別格の出石寺に行くこと、そして今回の遍路はここまでとし、打ち止めにすることを伝え、
またいつか再開できることを約束して別れました。
今日の宿「ときわ旅館」まであと少しです。がんばりましょう。
歩行距離:36.2キロメートル 所要時間:8時間30分