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国尺八遍路パート2 高知編⑦            土井通有

○第9日(2022年10月12日(水)くもり)
 今朝はいつもより早い食事をとり、高知屋を6時30分に出発。
そして7時50分には約6キロ先の第三十四番種間寺(本尾山 朱雀院 本尊:薬師如来)に到着しました。
ここの寺の由来は、弘法大師が唐から持ち帰った五穀の種子(米・麦・あわ・きび・豆またはひえ)を
境内に蒔いたことから種間寺と名付けられました。
本尊は安産薬師さんと呼ばれ、お寺では底を抜いた柄杓を安産祈祷して授け、
そして無事安産すれば、柄杓を寺に納めるのがならわしのようです。
朝の清々しい空気の中で、読経してお参りし朱印をいただきました。そして今日一日の無事を祈願して尺八を吹奏しました。
 
(写真① 種間寺)


 今日の目的地は36番青龍寺、とにかく長距離移動なのです。
40分ほど歩いて仁淀川の大橋の付近にて高知屋で同宿のT氏、M氏と合流しました。
T氏はこの先の土佐市のビジネスホテルに宿泊し、痛めていた足の指の治療のために病院に行くとのことです。
3人は仁淀川の堤防を歩いて清瀧寺に向かいました。
ここはすでに河口に近いのですが、さすが清流仁淀川、川底が透けて見えるほど澄んでいます。
堤防を行く途中で出会った男性が清瀧寺は向こうの山の中腹、この堤防をまっすぐに進み、
高速道路につきあたってから左に道を取ると良いと道案内していただきました。
しかし地図を確かめると確かに分かりやすいのですが、三角形の2辺を行くようなもので、
遠回りと判断した私とT氏は土佐市内を抜ける道を行くことにしました。
M氏は教えられた道を行くことにしました。
私たちが市内を抜け国道56号に突き当たると、国道を見覚えのある人が歩いてきます。そうM氏です。
聞くと途中で心配になり信号で止まっていたパトカーのおまわりさんに尋ねると、
国道を西にまっすぐ進んで行くように教えられたそうです。
結局三人は連れ立って清瀧寺に向かいました。
高速道路のガード下を潜り、しばらく行くと上り坂になりました。
急な坂を1キロほど登ると山門が見えてさらに石段が続きます。
そしてやっとのことで本堂にたどり着きました。
(午前10時57分到着)第三十五番清瀧寺(医王山 鏡池院 本尊 厄除薬師如来)
ここは弘法大師が金剛杖で突くと岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。
院号はこれに因みます。この水は田畑を潤し、また「ミツマタ」をさらして紙を漉く上で重宝されたそうです。
これに関係があるのか、昭和8年製紙業者により寄進されたのが高さ15mの薬師如来立像だそうです。

 (写真② 清瀧寺本堂と厄除け薬師如来立像)


 三人はそれぞれお参りをして朱印をいただいて、下山は安全のため距離は長いが車道をゆっくり下りました。
高速道路の下をくぐりしばらく行くとお腹も空いてきたところで、向こうにちょうど良くうどん屋がありました。
三人は“渡に船”と入店しました。このうどん屋はセルフで、それぞれ好みのうどんとトッピングを選んで舌鼓を打ちました。
店を出てしばらく行くと土佐市街に入り、今日土佐市で泊まるT氏と別れ、私とM氏は国道を離れ県道39号を南に向かい、
塚地坂トンネルの手前にある遍路休憩所に着きました。
ここで靴を脱いで休憩をとりました。そしてトンネルを抜け土佐市宇佐地区に入りました。
このコンビニで今日の宿「汐風」に連絡をとりました。
(午後3時50分)今日の宿は素泊まりなので夕食と明日の朝食をこのコンビニで買い、宿の方に荷物を預けて青龍寺に向かう予定なのです。
 しばらくすると宿の女将さんが車で現れ、荷物をお願いしてM氏と二人で青龍寺(横浪半島の先端にある)に向かいました。
荷物を持っていないので軽やかに半島に架かる宇佐大橋を渡り3キロほど歩いていきました。
第三十六番青龍寺(独鈷山 伊舎那院 本尊:波切不動明王)この寺は、明治の頃まで土佐七大寺と言われ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊を持つ名刹でした。
本尊の波切不動明王は航海の安全や、世間の荒波を鎮めるといわれて信仰を集めていました。
因みに元横綱朝青龍の名前はこの寺からもらったそうです。
蛇足ながら朝青龍が明徳義塾高校在学中、この寺の石段を上り下りして稽古をしたそうです。

 (写真③ 青龍寺の本堂への石段)


( 写真④ 青龍寺本堂)

 いつものように参拝し、朱印をいただき宿に向かいました。
お宿は普通の民家のいわゆる“民泊”です。まず風呂に入り洗濯をしました。
先に着いてビールを飲んでいた方(昨日の宿でも一緒)と、後から来た80歳くらいの男性と三人でなごやかに情報交換して就寝しました。

(写真⑤ 民泊汐風)

 歩行距離:34.8キロ   所要時間:10時間26分