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四国尺八遍路パート2 高知編⑥            土井通有

○第8日(2022年10月11日(火)晴れ)
 ビジネスホテルでは素泊まりにしたので6時30分には出発しました。
少し歩いて昨日のラーメン屋の隣のコンビニに寄り、サンドイッチとヨーグルトで朝食を取りました。
竹林寺に向けて南の方角に歩きました。天候は快晴、朝は少し涼しいくらいでした。
 さて、お遍路にはいろいろな方法とその目的があります。
団体バスで巡る(私の一回目はこれを利用)、自家用車、歩いて、自転車など、さらにタクシーを使う巡礼もあります。
またそこに何を願って巡るかは人それぞれです。
私が出会った巡礼者の中には、健康を願う人、体力に挑戦する人、病に打ち勝とうとする人、供養を目的とする人、
己の限界に挑戦する人などがいました。つまり巡礼の形や願いに違いがあっても、その人にとってその価値は大きいと思います。
また地域の人が遍路者をお接待して、そのことにより自身が巡礼できなくてもその思いを託すのもこの巡礼文化のひとつといえます。
そして私は「一期一会」と言う言葉をかみしめながら巡っています。
 歩いて1時間ほどで小高い山にある牧野植物園に到着、園内を抜けて竹林寺の山門に出ました
(午前7時47分到着)。第三十一番竹林寺(五台山 金色院 本尊:文殊菩薩)は「よさこい節」でかんざしを買ったお坊さんの居たお寺です。
この竹林寺は学僧・名僧の集まる南海道一と言われた学問寺で、臨済宗の学僧「夢窓国師」(作庭家でも有名)もここで修行したと言われます。
また門前には植物学者牧野富太郎氏の記念館と県立牧野植物園があり、信仰と学問の中心で土佐随一の名刹とも言われています。
またその昔、藩主山内氏の帰依も厚く祈願所として隆盛したそうです。
さていつものように読経し、尺八の吹奏をして御朱印をいただきました。

 (写真①:竹林寺の五重の塔・八十八ヶ寺で五重塔のある寺はめずらしい)


 次の禅師峰寺に向かおうと門前で地図を見ているとMさんと会いました。
彼も道を探していたようで、というのは少し分かりにくいところに標識がありました。急な坂道を二人で下って行きました。
下ったところには五台山小学校の校門があり、小学生のお接待の様子などが記録された資料と自由ノートが置いてありました。
僭越ながら励ましの言葉を一筆書きました。
ここから川沿いに西に向かい、橋を渡って少し上り坂になったところには、土佐勤皇党の武市半平太(瑞山)の旧宅と記念館があり、
ここを見学しました。

 (写真②:武市半平太の生家)


 峠の途中でトンネルを抜け、池のほとりを回って禅師峰寺の下に着きました。
お寺は標高82mのところにあり山道を15分ほどかけて登りました。
(午前10時8分到着)第三十二番禅師峰寺(八葉山 求聞持院 本尊:十一面観世音菩薩)太平洋を望む山の上にあることから
海上の安全を祈願するため、行基菩薩が聖武天皇の命を受けて建立しました。それゆえ「船魂の観音」と呼ばれています。

 (写真③:禅師峰寺本堂)


( 写真④:寺から高知新港を望む)


 ここからは6キロ先の種崎の渡し(県営渡船)まで歩きます。
毎時10分に渡船が出るので時計を見ながら歩きました。
12時過ぎに種崎の渡船場に着き12時10分発の船で、対岸の長浜まで約5分の船旅でした。
ここは「よさこい節」にでてくる“浦戸湾”を渡るのです。
今は桂浜に向けて浦戸大橋が架かっていて、このフェリーは徒歩と二輪車のみの渡しになっています。

(写真⑤:浦戸湾の渡し)


 さらに30分ほど歩いて第三十三番雪蹊寺(高福山 幸福院 本尊:薬師如来)につきました。
(12時43分到着)ここは元真言宗のお寺でしたが長宗我部元親(臨済宗)が廃寺となっていた寺を復興したので
臨済宗(四国八十八ヶ寺で臨済宗の寺は2つだけ)のお寺となりました。
四男の盛親があとを継いで長宗我部家の菩提寺としたので元親の法号から「雪蹊寺」と改められました。

 (写真⑥:雪蹊寺)


 読経してから尺八を吹奏し、納経所で朱印をいただきました。
今日の宿はその門前にある「高知屋」に予約を入れています。
ただ、先ほども声をかけてくれたお遍路さんが高知屋の入り口で座ってずっと待っているのです。
なぜかというとチェックインが午後4時なのです。
彼はすでに1時間待っているそうで、しかたなく私もベンチに腰掛けて待つことにしました。
午後2時ごろ女将さんが帰ってきてようやく宿に入れていただきました。
実は当初は、次の34番種間寺まで打つ予定でしたが、種間寺近くの宿が取れなかったので今日はここまでとしました。
ということでいつもよりはかなり早い到着となりました。

 歩行距離:19.8キロ   所要時間:6時間15分