やっとロ(ろ)の大メリができました、今日から修行「松巌軒鈴慕」 貴志清一
戦後、尺八本曲を芸術性の高い音楽にし、尺八界をリードした二人の巨匠。
それは言うまでもなく海道道祖と二代目酒井竹保です。
1933年生まれの酒井竹保はちょうど1953年生まれの私と20年の差があり、一世代前の尺八の巨塔でした。
現在どういうわけか忘れられた存在、もしくは忘れようとされた存在なのは残念です。
さて氏が亡くなる前の年、1991年7月に「松巌軒鈴慕」について解説した談話と古管・二尺一寸の古鏡で吹奏したものがたまたま手元にあります。
氏の談話をお聴きください。
(音源1)
https://comuso.sakuraweb.com/music/461-1.mp3
(要旨)
「松巌軒鈴慕」が生まれたのは天保年間だと言われています。
天保と言えば大飢饉があり民衆はたいへんな難儀をしていた時代です。
そういう時代背景もあってか、この曲は深い悲しみに満ちた本曲です。
それ故この曲を公娼場所の江戸吉原で虚無僧が吹き流したとき、そのもの悲しい曲調に心が掻き乱され自ら命を絶つ遊女が続出しました。
以後この曲を吉原で吹くことが禁じられたと伝えられています。
さて、この名曲中の名曲と言える「松巌軒鈴慕」をもう20年以上前に横山勝也師の音源で聴きました。
全曲の底に流れる深い悲しみに共感して繰り返し繰り返しカセットテープを巻き戻したことがありました。
いつかは自分も吹いてみたいという想いは強かったのですが私の修行する琴古流本曲にはない曲でした。
しかもロ(ろ)の大メリや東北民謡のコブシのような「チメリ・ル・ツメリ」などがあり、結局あこがれの曲のままで時が過ぎてゆきました。
2008年のちょうど今頃、お盆の時に名人二代目河野玉水師に節残しの地無し一尺八寸管を作ってもらい〈ロの大メリ〉が鳴る目処がつきました。
甲のロ大メリなどは構造上、地塗り管では出ません。
唯一地無し管、それもできれば節の残った地無し管でこそ発音可能なのです。
しかし地無し管は素晴らしい音色でいつまでも吹いていたい気持ちになる竹なのですが、如何せん、すぐには思うようには鳴ってくれません。
3年ほどしてようやくこの地無し管が手の内に入るようになりました。
そこで故横山師の直弟子の名手・石川利光氏に何度かこの曲の指導を受けました。
それでもこの曲はなかなか思うようには吹奏できない曲として今日まできました。
その間、二尺四寸の地無し管(玉水銘)でも時折この曲を練習しましたのでロ(ろ)の大メリの出やすい長管の力(ちから)で一尺八寸の吹奏力が向上しました。
今日、改めて一尺八寸地無しで「松巌軒鈴慕」を吹いて見ますと何とかロの大メリもチルツも形になっていました。
不思議なことです。「継続は力なり」といいますが、正にその通りです。
曲中とくに難しいところが「十四行目」です。
先ず通常の運指で音高を確認しますと図Bのようになります。
(音源2)
https://comuso.sakuraweb.com/music/461-2.mp3
実際の楽譜は図Aです。
(音源3)
https://comuso.sakuraweb.com/music/461-3.mp3
(ここに画像を貼り付けてください)
この頃おぼろげながら「松巌軒鈴慕」の形がぼんやり見えてきました。その間、数え切れない回数をこなしてきたのが図Cの「大メリの練習法」です。
まだまだ高いレベルとは言いがたいのですが、私の出発点としての「松巌軒鈴慕」を聴いていただければ幸いです。
(音源4)
https://comuso.sakuraweb.com/music/461-4.mp3
今日は2022年8月14日。お盆であらゆる物故者供養の施餓鬼会も行われる時です。
江戸時代に想いを馳せてこの曲を聴いていただければと会報記事にしました。
私のところの発表会を兼ねた演奏会が今年2022年11月13日にあります。
演奏曲目中、わたくしの吹く本曲は一尺八寸地無しの「松巌軒鈴慕」です。
ちなみに第2部はギターとの二重奏で「尺八-北の大地・北海道を歌う」です。永遠の名曲「大空と大地の中で」等です。
「松巌軒鈴慕」は二代目酒井竹保師や横山勝也師の表現の万分の一でも近づけるよう、今日から練習に取り組みたいと思っています。