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しかのせとうげでしかのとうね (鹿ヶ瀬峠で鹿の遠音)  貴志清一

 蟻の熊野詣といわれた世界遺産になっている熊野古道。
 この道は古の人々が遠く険しくても歩き通すことで神仏を感じ生きる力を高めようとした信仰の道でした。
 それは日本古来の山岳信仰である修験道に通じます。実際に吉野から熊野本宮に至る山岳道である大峰奥駆道は熊野古道の一つでした
 人智を超えた力に満ちた山々を歩き、崖を登り滝に打たれ山という大自然の中で身心を鍛えていき、智慧を磨いていく。
 その五体を使った修行のなかで、悟りを得ていくのが修験道です。

 古典本曲である琴古流本曲も元々は虚無僧の修行の曲ですので、修行という点では修験道に通じます。
 山に分け入り厳しい行程を歩き、瀧に打たれるとまでは行きませんが尺八を下腹に力をこめて吹き通すのは修行の一つでしょう。
 湯浅から険しい鹿ヶ瀬峠を越えて紀伊内原に至る4時間行程の熊野古道を2021年11月6日に竹持参で歩いてきました。
 家を早めに出て鹿ヶ瀬山麓の河瀬(ごのせ)は10時15分。
 足元をしっかりさせてから出発です。緩やかな登りにかかりますといきなり「熊・出没・注意」で足がすくみます。

(写真①熊出没注意)


 「あっ、しまった。リュックに鈴を付けてない」
 (もともと鈴を持ってない!)
 まあ仕方ない、要所要所で鈴の代わりに「口笛」を吹くことにしました。
 ところで、この口笛を吹くというのは尺八の極意なのです。
 「尺八吹奏法Ⅱ」で
  ・唇の丸み、特に上唇の丸み
  ・息の吹き込み時の偏心角
  ・下歯による息の乱れを避ける
  ・虚空に消える音の処理(舌の下唇裏への音尾のさわり)
  ・口腔前庭法
 等々いろいろと尺八吹奏上のコツを書いてきましたが、それを一言で表しますと、
 「口笛を吹くように尺八を吹く」となります。
 老齢になり顔面の筋肉・神経が変化して息の出る隙間と歌口が合ってこなくなった時、それでも今まで通りの口の形で吹いていますと超スランプになります。
 それを「口笛」を吹いているときの息の出口をもって、尺八のエッジに当てれば、そしてあご当たりの位置が変わっても新しい位置で気にしないで吹けば 
 それだけで超スランプは解消します。
 尺八吹奏上のスランプはすべて「口笛を吹く」ことで解決します。
 少なくとも68才の現在の私は(音楽的才能の良し悪しは別にしてもらえば)尺八を十分鳴らし、楽しんでいます。
 たしかにいろいろなスランプ状態もありましたが「口笛練習法」によって克服してきたように思います。
 
 大幅に熊野古道から外れて道草を食いましたが、1時間余の登りで鹿ヶ瀬峠着です。
 ここは「紀伊国名所図会」によりますと江戸時代に茶店もあって往来も賑やかだったようです。

(写真②現在の鹿ヶ瀬峠、 ③鹿ヶ瀬峠解説ミスな-け○)




 休憩はもう少し行ったところでお弁当の時にということで下っていきました。
 突然「ガサガサ」という音がしてものすごいスピードで生き物が前の方を横切ったようです。
 「やばい、熊?」
 身構えて落ちていた太い木ぎれを持って口笛を吹きながら慎重に進みました。しばらくしてまたもや「ガサガサ」
 今度は姿が一瞬見えました。お尻の方に白い毛が生えていました。
 「ああ、鹿やった。よかった。」
 熊ではありません。鹿が通って谷の方へものすごいスピードで降りていったのでした。
 途中で奈良公園でよく見る鹿の糞も落ちていました。すこし粒が小さいのでまだ若い鹿かもしれません。

(写真④鹿の糞)


 古い古道の石畳をおりてやっと明るい古道森林公園にきました。
 公園と行っても単に開けたところにベンチとテーブルがあるだけのところです。
 この自然の深さがいいのだと感激しました。

(写真⑤古道森林公園ベンチ)


 今日の自作弁当はソーストンカツです。美味しく頂きお茶を飲んで時間を見ますと12時前。
 どうしても紀伊内原駅2時19分発の田辺行きの列車に乗らなければなりません。この日田辺で開催される国際尺八コンクールを聞きに行くのです。
 少々落ち着かないまま尺八修行ということで音出し、そして鹿にも会ったことですので「鹿の遠音」を吹き、一路紀伊内原を目指しました。
 今日の最後の王子である「高家王子(たいえおうじ)」でお賽銭を捧げ柏手を打って内原駅2時10分過ぎ到着です。間に合いました。

(写真⑥高家王子)


 田辺駅に着いて弁慶で有名な闘鶏神社に参拝しました。家の大型犬は今年で7才。家にきて6年。
 これからも元気でということでペットお守りをいただきました。ペット守りのある神社は割と少ないので下調べをして闘鶏神社に来たのでした。
 境内には弁慶とその父の像がありました。弁慶は熊野別当(長官)の子なのです。
 源平の戦いの時、勝敗を分ける要因になった熊野水軍が源氏に付いたのはやはり弁慶という人物によるところが大きかったようです。
 もちろん平家に付くか、源氏に付くか、赤白7羽の鶏を戦わせて占ったのでしょうが、歴史素人としては、あらかじめ赤い鶏を弱らせて
 白が勝つようにしたのかなと勘ぐりたくなります。

(写真⑦闘鶏神社本殿 ⑧堪増&弁慶)




 ここから有名な昭和天皇にまで進講したことのある南方熊楠の顕彰館に寄って5分前に国際尺八コンクール会場の紀南文化会館に着きました。
 出場者はそれぞれ高いレベルの演奏を誇っていました。
 ただし、自分の未熟さを横に置いてもらえば、
「ほとんどの出場者は、自分にとって尺八演奏とは何なのか、あまり分かっていない」との感想を持ちました。
 「いいかえれば、訳も分からず、音符を機械的に音響に変換しているだけ」の演奏が多かったようです。
 "それでは、おまえはどうなのか"となるのですが、これはお許しください。
 せめて、「深い音楽的な表現」が無理なら卓越した技量やすばらしい音色で演奏してもらいたかったです。
 このあと会場の前に扇が浜という美しい海水浴場がありましたので波打ち際までいって太平洋の水に手を浸して田辺駅に戻りました。

(写真⑨扇ヶ浜)


 お弁当を買いこみ新大阪行きの車中でビールの一人宴会をしながら、今日のいろいろな経験を振り返り帰路につきました。