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ごま点を、消すと琴古本曲、姿が見える -琴古流本曲の再発見- 貴志清一
今年で尺八を始めて43年になりました。琴古流を習い始めて約40年。不世出の名人、故松村蓬盟師に永らく師事してまいりました。
師の伸びやかな琴古流の本流をいく音色にあこがれて今まで尺八修行を重ねてきました。
まだまだ師の足下にも及びませんが、今後とも息が続く限り吹き続けていきたいと思ってます。
さて、その伝授していただいた琴古流本曲ですが楽譜は100年ほど前の三浦琴童譜で、どうもごま点が邪魔な気がしてきました。
実際に師匠と向き合い師匠の通りに吹こうと努力しているうちに「ごま点」という琴古流の拍の記号通りには決して吹いていない自分を発見しました。
特に江戸時代からの伝承が途切れていないと思われる「鹿の遠音」「巣鶴鈴慕」などは拍にとらわれずに吹いていきます。
もう10年ほど前になりますが、私の所に習いにきていた生徒から「ナヤシの前の音符は1拍表示なのに、2拍で吹くのはどうしてですか?」
というふうな質問をうけ、はたと困ったことを覚えています。
苦し紛れに「ナヤシの前の音符は1拍表示でも2拍で吹くのです。」と答えたように記憶しています。
今にして思えば「本曲は心の中の波のようなリズムはあるのですが、西洋の音符のように、長さを絶対的に決めるものではありません」 と正確に答えるべきだったと思います。
そうなのです。本曲に拍を決めてしまいかねない「ごま点」は不要なばかりか、弊害にもなる危険性があります。
ごま点楽譜を作成した三浦琴童自身、本曲譜の解説に 「本曲は幽玄さが大切なので、本来、ごま点で律することは当を得ていない。
しかし型が崩れるのを防ぐために便宜上そうしている」というようなことを記しています。
しかし、後生の奏者にだんだんそういう趣旨が伝わらなくなり、かなり前から「琴古流本曲は千篇一律、皆同じ。おもしろくない」という非難があります。
そういえば、横山勝也という尺八界を再生させた偉大な方の「鹿の遠音」の楽譜には「ごま点」を入れていません。
横山勝也は勿論琴古流出身です。
私も琴古流本曲にあこがれて40年余り尺八を吹いてきました。
ここでは試論として、ごま点を省いた抜粋版の「巣鶴鈴慕」を提示します。
三浦琴童が恐れたような伝承の途切れは現在のCD等の再生メディアでカバーできます。
どうか、次の音源をごま点無しの添付楽譜を参考にご検討、ご批評をお葉書にておまちしております。
590-0531大阪府泉南市岡田2-190-7 尺八吹奏研究会宛
なお、甲・五のハのコロの運指など不明でしたら
「貴志清一尺八教室」のワンポイントレッスンをご利用ください。
(抜粋版「巣鶴鈴慕」:音源)
https://comuso.sakuraweb.com/music/437-sokakureibo.MP3