「四国尺八遍路あれこれ⑧」(日記) 土井通有 *いよいよ、結願*
10月7日(水)6時には宿の朝食をいただき、支度をして、S氏と一緒に出発しました。
遍路では、同じ経路で歩くときも、ズーッといっしょに行くことはなく、それぞれ自分のペースで歩くことが多いのです。
今日はS氏と88番大窪寺までの同じルートで、女体山越えを予定しており、「前山のお遍路サロン」に寄ることにしていました。
よって県道をひたすら南に歩くことになりました。7時に宿を出て、1時間ほどで「NPO法人ループ88四国」の運営する「前山おへんろ交流サロン」に着きました。
(写真①)前山お遍路交流サロン
ここでは、四国八十八カ所結願の証になる「遍路大使任命書」をいただけるのです。
また、女体山越えの詳しいルートの状況を写真などをもとに目印になるものをくわしく教えてもらえました。
ここまで、5キロあまりの昇りを1時間で歩きました。少しペースが速い。お遍路では、皆大なり小なり憂いを抱えています。
私は足の指が豆だらけに、S氏は足の裏に違和感がるとのこと。しかし、出発の朝に靴を履いて歩き始めると何事もなかったようにシャキッとします。
昨夜、宿の女将に小指をかばいながら歩く所を見られて、明日は大変ですよと釘を刺されました。
そしてお遍路サロンからはさらに登りが続きます。頑張らなくては。
30分ほど休憩して出発、大多和神社を過ぎ、古い太郎兵衛館を左に見て進むと、いよいよ女体山の登り口にたどり着き、小休止。
(写真②)女体山の登り口
元気なS氏には先に行ってもらうことにしました。ここからはマイペースで山頂に向かいます。
所々には鎖場や鉄の階段があるところを30分ほど登り山頂に立ちました。ここからの見晴らしは、快晴の讃岐平野が一望でき大変気持ちよいものでした。
(写真③)女体山山頂より讃岐平野
下りも急で、足の都合で登りよりも大変でした。最後の難所を乗り越えるのも修行と思い頑張るしかありません。
昼前には大窪寺の本堂に到着し、最後の納経をすませ、結願の感謝を込めて尺八一管「手向」を奉納しました。
さすがに結願の寺、参拝者や遠足らしき学生さんもたくさん来られていました。
(写真④)大窪寺本堂
S氏は先に到着し、参拝を終えてベンチに座っておられました。私が本堂と大師堂に参拝するのを待っていました。
その後、二人で昼食を門前の八十八庵といううどん屋に入りました。ビールで乾杯。味噌仕立ての「打ち込みうどん」が格別でした。
これで四日間連続、昼食はうどん。おかげで体調もよくなり、これはまさに四国遍路の御利益でしょうか。
その後、さぬき市のコミュニティバスにて、志度高速バス乗り場まで、予約しておいた15時02分発の大阪行きのJR高速バスに乗り、
難波バスターミナルに向かいました。
S氏は明日難波から南海電車に乗り、高野山に向かうとのこと。
これは四国八十八カ所遍路のお礼参りとして、お大師さんの開いた高野山の金剛峯寺と奥の院に参拝するのです。
私は大阪南部にある我が家に久しぶりに帰ることになりました。またいつか四国へ行きたい。
これは、もう「お四国病」でしょうか。そしてお寺で吹奏してみて、尺八をもう少し上達したいと思いました。何事にも精進すべしと肝に銘じ、この旅を終えました。
(四国尺八遍路あれこれ・結願。)