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「四国尺八遍路あれこれ⑦」(日記)  土井通有    *なぜお遍路を・源平、屋島の合戦*
 
 10月6日(火)いつもの朝が来ました。ホテルの朝食で久々にパンとコ−ヒーをいただきました。
昨日、チェックインを待つ間にS氏と次の宿泊地を相談していると、彼は当初86番志度寺の近くに泊まるとのこと。
しかし志度までは10キロあまりで近すぎます。
そこで次の87番長尾寺のすぐ近くの宿を取ることにし、私が「結願の宿ながお路」に2部屋予約を入れ、
彼は志度の宿をキャンセルすることにしました。というわけで、明日も同じ宿に泊まることになりました。
「旅は道ずれ」です。世の情けもあるのでしょうか。 昨夜は、S氏と夕食に近くの焼き鳥屋に出かけました。
四方山話しをしながら楽しい食事ができました。
普通、遍路ではあまり身の上話をしないのですが、彼はお身内の三回忌に間に合うようにお遍路をしていることがわかりました。
「功徳があるといいなぁ」と思いました。 私事ですが2年前、西国三十三カ所巡りをしているとき最後の岐阜にある33番華厳寺に巡拝した際、
たまたまツアーで一緒になった方から四国遍路を進められたのがきっかけなのです。
その後四国巡礼の途中で、母が他界しその弔いも兼ねるようになりました。
日本人は、大切な人の供養や様々なことを祈願するために巡礼します。
しかし、外国からの遍路旅はちょっと違うようです。
 以前、高知を巡礼しているとき、オーストラリア人の青年がお遍路をしていました。
彼はご朱印などを集めておらず、ある日のこと高知市の国分寺では小さな祠に向かって瞑想していました。
また、フランスからの青年は、以前にスペインのサンティアゴ巡礼をした際、フランスの自宅から1700キロ歩いて行かれたそうです。
歩くことそのものを目的としていました。また、カナダのケベック州から来た仲むつまじい初老のご夫婦にも親しくしていただき、
和気あいあいと歩きました。楽しい旅のひとときでした。一期一会とはこういうものでしょうか。
 さて、7時にホテルを出発し、85番八栗寺に向かいました。
讃岐平野は、所々に小高い山があり、そこには、札所のお寺があることが多いのです。
八栗寺も山の上にあり、麓からケーブルが通っています。しかし歩き遍路は徒歩で登ります。
登り口には源平の合戦、屋島の戦いゆかりの地に洲崎寺(写真①)があります。ここは義経の身代わりとなり討死した佐藤継信の菩提寺です。

写真①洲崎寺(屋島の戦いゆかりの地)


山を登ると、西に屋島の平らな頂上がきれいに見えました。まさにテーブルです。(写真②) 

写真②屋島


八栗寺は標高375メートルの五剣山にあります。昔お大師さんが山に登ると蔵王権現が現れ、仏教の聖地と告げられる。
大師は大日如来像を刻み五剣山と名付けたそうです。巡拝作法によりお参りし、尺八を一管奉納しました。
やはり山上での吹奏は気持ちが良いです。(写真③④)

③八栗寺 写真


④八栗寺のある五剣山


 下山は、長いアスファルトの道を下ります。やがて潮のかおりのする海岸に出ました。
高松市からさぬき市(旧志度町)に入ると古い町並みが続きます。名所案内に平賀源内の旧邸とありました。
志度寺の山門の前にある自性院には源内の墓もあります。
 平賀源内旧邸からしばらく行くと、志度寺の仁王門が現れ、立派な五重塔が目に入りました。(写真⑤) 

写真⑤志度寺


巡拝作法により納経し、御朱印をいただきました。お寺を出てすぐ国道11号を横切り、ここから県道を阿讃山脈に向かって田園地帯を行くことになります。
時間も良い頃になり、ちょうど国道沿いに「はなまるうどん」があったので昼食にしました。
 約7キロの道を県道と遍路道を行き来しながら87番長尾寺に向かいました。早めに昼食をとってよかったです。
ほとんど食事のできるようなところが見当たりません。今は昼食にうどんを食べるようになって体調も回復してきました。
 長尾寺に到着したのは午後1時半でした。(写真⑥)

写真⑥長尾寺


納経して、今日の打ち止めに尺八を一管奉納しました。
しばらくして、Sさんが追いついてきて一緒になりました。その後そろって門前にある「結願の宿ながお路」向かいました。
ところで、S氏は昨日泊まったビジネスホテルを私より後に出て、しかも私が昨日行った屋島寺も参拝してからこちらに向かったのですが、
到着が私とあまり変わらない。・・・かなりの健脚です。 本日の歩行距離22.3キロメートル

写真①洲崎寺(屋島の戦いゆかりの地) 写真②屋島 写真③八栗寺 写真④八栗寺のある五剣山 写真⑤志度寺 写真⑥長尾寺