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「四国尺八遍路あれこれ⑤」(日記)  土井通有* 最強の怨霊* 

 10月4日(日)「旅館みき」にて昨夜泊まったのは一人なので、風呂もゆったりとはいることができました。
風呂を上がると足の治療です。山登り、長距離の歩行により、足は悲鳴を上げています。
小指は水ぶくれに血がたまり、左の爪は浮いてきました。また、両足の中指の爪は赤黒くなってきました。
水ぶくれは、針で突き水を抜いてアクリノールで消毒します。まあ、これも修行です。 

 今回の巡礼の予定を立てたときは、もう一つ先の国分寺まで行く予定でしたが、足もこんな調子で坂出市のこの宿になりました。
急な予約にも女将さんは親切で、美味しい夕食を出していただき、またGOTOトラベルの手続きをし、地域クーポン券も手配してくれました。
大変ありがたいことです。これも一期一会と思います。またご主人には昨日電車に乗った八十場駅まで車で送っていただき、
同じ道を二度歩くことなく時間短縮できました。感謝、感謝。 

 今日は、7時前に宿を出発し、80番国分寺に向かいます。
途中は交通の激しい国道11号を通り、県道に入ってしばらく行くと立派な山門が見えてきます。
ここは旧境内全体が国の特別史蹟に指定されています。
(写真①)

奈良時代の創建当時の遺構をよく残した寺で、七重の塔がもし現存すれば、京都の東寺を超す大塔だったようです。
巡拝作法により納経し、御朱印をいただき、朝一の尺八を奉納しました。

 次の81番白峯寺に向かって田園地帯をぬけて山道に取り付きます。標高差300メートルの直登です。途中休憩所もありますが、
あえぎながら登ると白峯寺と82番根香寺を結ぶ県道に出ます。
県道を左にとってしばらく歩き、道標に従い遍路道の山道に入り進むと、白峰寺の門前に出ます。 
 せせらぎに架かる橋を渡り山門から入ると、地元のボランティアの運営するお接待所がありました。
早速声をかけられ、ジュース2杯と駄菓子と飴、マスクをいただきました。歩き遍路をねぎらってもらい、感謝いたしました。
このお寺は、弘法大師の甥の智証大師により創建されました。白峰という名前から察するに、崇徳上皇の御陵があります。
その昔、崩御されてから都では異変が相次ぎ、そのあと後小松帝は怨霊に恐れをなしたか、
上皇を祀る法華堂に「頓証寺」の勅額を奉納し、尊崇の意を表したということです。
(写真②) 

 因みに、明治天皇は即位礼を執り行う際、京都に御霊を帰還させて白峯神宮を創建した。
昭和天皇は、崇徳帝800年祭(昭和39年)に坂出市の天皇陵(白峯寺にある)に勅使を使わして式年祭を執り行ったそうです。(怖い) 
 本堂と大師堂は頓証寺の門の横の石段を上ったところにあります。巡拝作法により本堂と大師堂に納経して御朱印をいただきました。
各お寺には、ご本尊を祀る本堂と空海(弘法大師)を祀る大師堂があり、この両方に読経するのが決まりです。
ということで一つの寺をお参りするのに約30分はかかります。 

 山門を出てもと来た山道に戻り、県道には出ないで遍路道を道標に従い根香寺へと向かいました。
この山は霊峰の五色台で青・黄・赤・白・黒の五峰の山があり、トレッキングコースにもなっているようです。
途中にはハイキングの皆さんに出会いました。そして、白峰にある寺が白峯寺です。
またこれからお参りする根香寺は五色台の主峰・青峰山にあります。 
 1時間半ほど山道を歩くと立派な山門のある根香寺に到着。
(写真③)

弘法大師は密教修行の地として青峰に「花蔵院」を建立、後に智証大師が千手観音を彫造し、「千手院」を建て、この二つを合わせて根香寺と称します。
現在は天台宗に改宗しています。今日の打ち止めですので納経後、尺八を奉納しました。
ここで御朱印をいただいたところ、地域クーポンが使える事がわかり、昨日いただいた千円のクーポンで御朱印とご本尊千手観音のお守りを購入しました。
「御利益です」誠にありがたいことです。「民宿みき」さんに感謝。 
 道標に従い、急な山道を下り途中からアスファルトの道を鬼無の里に下りていきました。
鬼無地区は、盆栽の出荷が盛んなようで畑に五葉松などの庭木がたくさん栽培されていました。
1時間半ほどで予讃線鬼無駅近くの百百家旅館に到着しました。今日は善通寺宿坊以来、同宿者がいました。
 本日の歩行距離29.1キロメートル

写真①国分寺 写真②白峯寺頓証寺殿 写真③根香寺山門