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      「松村蓬盟先生の『来し方を顧みて』」 貴志清一

 松村蓬盟先生は私の先生で、30年近くの長きに亘って師事してきました卓越した地歌尺八の名手です。
 今から10年ほど前、奈良のご自宅へお稽古にお伺いしたときにご自身の尺八歴をお纏めになった冊子をいただきました。
 それがここで紹介する『来し方を顧みて』です。
 全文は下記PDFファイルをご覧下さい

 松村蓬盟先生著『来し方を顧みて』PDFファイル

 私事になりますが、琴古流尺八で師匠が竹盟社竹鈴会・会主の松村蓬盟師なら、どうして「盟」がないのですかと疑問がでます。
 答えは簡単で、師範免許がないから「盟」を名乗る資格がないからです。
 そして師範免許どころか、皆伝・奥伝・中伝・初伝すべてもっていません。
 ではどうして30年近くも竹盟社の理事長までしていた松村師のもとで尺八を習うことができたのですかとよく聞かれます。
 それはひとえに師の寛容さという恩恵に浴したからでした。

 1985年前後のことです。町の琴古流の師匠にお世話になり古曲を7,80曲上手く吹けないまま次回から琴古流本曲に入る時期でした。
 もともと山口五郎師のような華麗な型(スタイル)の本曲に憧れていましたのでやや古いタイプのツメリがツ中に近い本曲に少々躊躇しました。それで一時、お稽古をお休みさせてもらうことにしました。

 自分ひとりで本曲の楽譜を見てもどうすることもできないのは当然でしたので、山口五郎のように吹く琴古流の先生に皆伝扱いの「本曲」から教えてもらいたいと考えました。

 しかも免状や家元制には疑問をもっていましたので「本曲を教えていただくだけ」の先生で技倆は山口五郎師に匹敵する先生を探すことにしました。

 尺八界の家元制が少々あやしくなっている現代でもそういう先生はなかなか見つからないでしょう。それが30余年ほど前のことですから、まあ普通の尺八愛好者からは「少し頭を冷やしたら?」といわれるのが落ちでしょう。

 それでも本曲への気持ちは捨てがたく、そしてまた初めから100曲の古曲を吹く手間・時間が惜しくある製管師さんに相談にいきました。
 考えられないような虫の良い条件に少々驚いていましたが、あまりの私の無知さを憐れに思ってくださったのか、「関西で琴古流本曲をといえば松村蓬盟さんでしょう、一度きいてあげます」とのこと。

 そしてそれは社交上の応対ではなく、本当に問い合わせてくれたのです。そして考えられないようなことですが、松村先生が本曲から習いに来ても良いとの連絡を受けました。

 他のたくさんの弟子の方々の和を乱すような存在でしかなかったのですが「師匠が大目にみている」ということでお稽古を待つ間も1回の批判めいた言葉・態度もありませんでした。

 大阪谷町九丁目の稽古場に入るとビューと鳴り響く松村先生の音色に思わず耳を欹て「早くあんな音を出したいなあ」とよく思いました。

 それから30年近く。未だに師のような思わず聞き入ってしまう音に及ばないと感じる日々です。いつかは松村先生のような素晴らしい音色を獲得し、小さいながらも自分の演奏会で先生と「鹿の遠音」を連管で吹いてみたいと思っていました。

しかし、その夢も5年前に先生が他界されてしまわれましたので叶わぬことになってしまいました。