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                           会報 322号
                        (2016年1月15日更新)
                                     
幻の尺八名人酒井竹保は音楽に対しては純粋であり、誠実な人物だった
                                                                    貴志清一
 今回のタイトル「酒井竹保は音楽に対しては純粋であり、誠実な人物だった」としましたが、実は私は一度も氏の演奏を実際に 聴いたこともなく、ましてやお会いしたこともありません。唯々手元にあった「竹籟五章」「真霧海箎」の音源に感心しただけの者で す。
 ではどうして「純粋、誠実」ということが分かるかということですが、一つには演奏それ自体が語っているということです。
 ここ20日ばかりの間、尺八吹奏研究会の会員さんを含め30枚ほど「竹籟五章」「真霧海箎」の音源CDを発送し感想も少 なからず頂いたのですが、異口同音に
〈尺八の迫力と精神性〉
〈古典の本来の気迫〉
〈融通無碍の表現〉等々、
「感動しました」とのことです。
 私も同じような感想を持っていますので、「こんな高いレベルの演奏は、いい加減な気持ちで尺八を吹いてきた人間にはとう てい出来ないものだ」という結論に至ったのです。
 もちろん生身の人間ですから、日々の営みはいろんなことがあるでしょう。しかし、基本的に音楽に真摯に向き合わなければ こういう演奏は不可能だと思います。
 ところが複数の方々からご教示いただいたHPに、
http://sogaku.com/naoshism/rec_chikurai5.html#
「極端にブっ飛んだ破天荒な性格のオッサンでしたが、(中略)何しろ、両親が仕事で居ないというのに訪ねてきて、勝手に玄 関あけて「ただいまー」とか言いながら家に入ってきてしまうので、私が応対する事もしょっちゅうあったんですよ。「父はまだまだ 帰って来ないよ、あと4時間ぐらいかな」と言うと決まって、「ん、じゃ、待たせてもらうわ。おい、男前のナンバー2(これは私の こと)、少しワシの話に付き合え。今日のはおめぇ~、ごつぅ~おもろいでぇー」となるものですから、私とて仕事の締切間際の時は エラい困りましたわ!」
 このような書き出しで始まる記事がありました。
 古典本曲を高い精神性で演奏できる人間が、こんな「極端にブっ飛んだ破天荒な性格のオッサン」であるはずがないと思いま した。
 しかし、書いている人は実際の自分の記憶でものを言ってるのだし、この記事の中にも「尚、何モノをも誹謗する意図はあり ません」と明記しています。
 実際に面識も何もなかった私としては、氏の演奏と「ぶっ飛んだ」という言葉の狭間で混乱するばかりでした。
 これは、ある程度考えなければならないと思い、僅かな資料や聞き取りによってほんの少し様相が微かに見えてきました。
 結論としては、
〈このぶっ飛んだ破天荒なオッサン〉であった晩年の10年間ぐらいは、不幸にも氏が〈ほとんど尺八を演奏できる状態ではな かった〉時代に当たる、ということです。
 晩年が不運だっただけに、氏の業績の顕彰よりも存在の忘却へと流れが行ってしまったようです。そこへ「ぶっ飛んだ破天荒 な」という言葉をぶつけられると、氏を全く知らない私のような尺八愛好家は驚くわけです。
 狭い範囲ですが、順を追って氏の略歴を述べます。
(ちなみに、読者のみなさんで、記述に誤りがあれば、どうかご教示下さい。)
 
 『ロベルトの日曜日』をお読みになった方はご存じなのですが、
幻の名人=二代目酒井竹保です。
昭和8年、1933年1月1日生まれ。(奇しくもこの記事を書いているのが1月)父親は初代酒井竹保
1945年 9歳の時に敗戦を迎え戦後の動乱期に少年時代を過ごす。
1952年(昭和27年)生野高校卒業
1964年 諸井誠作曲『竹籟五章』初演
  現代邦楽の放送ブームの発端、舞台、マスコミ等で脚光を浴びる
1967年 大阪文化賞受賞、この年竹保流二代目襲名
    以後活躍がつづく
1980年 東京音楽芸術祭で"日本の演奏家"の一人に選ばれる
1981年 病に倒れる(精神疾患)
    (この10年間ほどが超一流のプロとしての尺八演奏ができる状態ではなかった)
1992年 事故により没   
 
 この晩年の10年間が闘病生活になります。ただし精神疾患に依ります。躁状態、鬱状態のくりかえしで本当にお気の毒で あったと思います。
 精神が昂揚したときの言動がまさしく「ぶっ飛んだ破天荒なオッサン」の姿だったのでしょう。
 二代目酒井竹保氏を良く知っている私の知人にどんな人物でしたかと聞く機会がありました。私の知人は、
「音楽に関してほんとうに真摯に取り組んで、よく音楽表現上の助言をいただきました。また、性格は純粋でした」との証言。
 名人にたまにある傲慢さなどは、と言う質問に、
「傲慢さ・・・決してそんなことは全くありません。いつも誠実なたいどでした」との証言。
 そして、晩年の10年間はどうでしたか、という問いに、
「残念ながら、ご病気のため、ほとんど別の人格になっていらっしゃった」との答え。
 そのほか、私の回りに実際に酒井竹保を知る尺八奏者が数人いらっしゃいますが、その方達も異口同音に「本当にいい先生で した」とのお話でした。
 以上まとめてみますと、「極端にブっ飛んだ破天荒な性格のオッサン」は、ほとんど人格が崩壊していたときの晩年の10年 間の言動だったことが分かります。
 このことを踏まえて
http://sogaku.com/naoshism/rec_chikurai5.html#
のHPを読む必要があるようです。
 せめて私たち尺八愛好家は心しなければならないでしょう。