ご挨拶
2014年7月より尺八吹奏研究会のHPが消滅していました。各方面よりご心配いただきましたこと、厚く御礼申し上げます。
本会の顧問でHP作成をしていただいてました 神崎憲師が体調を崩され本年の2月にご逝去されました。
尺八界にとって大きな損失であり本会にとってはたいへん悲しいできことでした。
失ったものが非常に大きかったので当初は尺八吹奏研究会も解消と思っていました。
しかし紙面の会報を続けているなかで、適切な指導やアドバイス を受けられず技術的にも音楽的にも行き詰まっていらっしゃる
多数の尺八愛好家の話を聞くにつけ、微々たるものですが本会の役割も見えてきました。 よって、この度の再開に際し、
ネットサーバーを快くお貸しくださったN様ならびに、私のところのO氏の協力が得られましたので2016年1月より今まで通りHPを
再開させていただきます。 どうか閲覧される皆様、よろしくお願い申し上げます。
(以下 会報No.320 2016年1月号_本文)
約1年以上続いたスランプを克服
津軽三味線高橋竹山の尺八演奏がヒントになりました
貴志清一
それはもう長いスランプ(不調)でした。もしかすると余りに長いスランプだったので調子の悪い状態が「普通」だったかも知れません。
尺八を長く吹くと誰しも疲れてきます。個人差はありますが人間50才を過ぎると筋肉の「はり」(弾力)が弱くなり、少々顔をしかめるようにして吹くこともあります。
私の場合は、顔をしかめた時に上下唇の息の隙間が閉じてしまい、「ぷすっ」と音が出なくなるのです。
本曲演奏で音の末尾を綺麗に虚空に消えるように吹きたいのに、突然「ぷすっ」では初心者の段階でしょう。
少なくとも37年間毎日吹いてきた尺八奏者のすることではありません。これはほとんど恐怖に近いものでした。
スランプ状態の時には、人はなかなか自分でその原因がわからないものです。「尺八吹奏法U」を書き合理的な吹奏法を勧めてきたつもりでしたが、
いざ自分のことになるとこの不調の原因がわからないというのが実際でした。
なにかおかしいなと思ったのは5,6年前でしょうか。そして1年ほど前からはこの不調感を強く意識し出しました。(現在62才)
「メシよりも好き」な尺八ですからこのスランプは厳しかったです。
少ない数ですが5,6人のお弟子さんたちはお稽古に来ますので、
「今日は調子が悪いから、私は尺八を吹きません。口頭のみで指導します」では指導者失格でしょう。
また1,2ヶ月に一回、下手をすると月に2回ほどの小さな演奏会や頼まれ演奏に出演しますので、これも
「今日は少々尺八の音の出が悪いので、演奏できません」では済みません。
その対策として
○とにかく音のばしと音の繋がりの練習(毎日のウォーミングアップ)を何度も繰り返す。
○演奏会当日は練習なしで、本番に会場でほんの少し音出しをする
ということで切り抜けてきました。
そうこうしている内に「自分の吹奏力はこれが限界かな。時間が経てば経つほど吹けなくなっていくのかな。」と思うようになってきました。
扱いに くい地無し尺八を吹き続けて7年目。修行途中なのですが、せめてまともに吹ける時に地無し管による琴古流本曲の録音をしておこうということで、
非才を顧み ずCDを作成したのが今年の夏でした。会員の半数以上の方々に購入していただいたことは嬉しかったです。
拙作とはいえ色々研究してきた成果としてのCDができたことで、少々安心したのですが、肝心の尺八演奏の不安定感はどんどん大きくなってきました。
この不安定感は不安感につながります。その不安を消すために「ロングトーン」「音型練習」の繰り返しの毎日でした。
稽古事は「締め切り」と「強制」がなければなかなか上達しません。
ですから自分の演奏力のために、自らの企画で11月15日に「地無し尺八〜古典から現代曲まで」という小さな演奏会をしました。
そのとき、ギター・尺八・三味線で第2部で歌謡曲を吹くことにし、そのメインの曲を「風雪流れ旅」としました。この曲は大好きで昔はよく宴会の席で
カラオケをバックに陶酔したものです。(ただし、回りの同僚たちは耳をふさいだかもしれませんが)
「風雪ながれ旅」は津軽三味線を実質的な独奏楽器にまで高めた高橋竹山を歌ったものです。映画化された「竹山ひとり旅」は
1977年にモスクワ国際映画祭に日本代表作品として出品されたものです。
会員さんの中にはご存じの方も多いかと思います。
さて、この映画の中で三味線を傷めないために尺八を吹いて門付けする場面があります。雨の中、破れ単衣(ひとえ)姿で尺八を懸命に吹く姿。
雪の 積もった寒村で北風にも負けず顔をしかめて尺八を吹く姿。同じ尺八吹きとしてじ〜んとくるものがあります。
しかも映画で使われている曲は錦風流のコミ吹き の本曲です。東北の厳しい寒さの中で生まれた奏法がコミ吹きです。
この映像ではたと気がついたのです。
すなわち、「顔をしかめようが何をしようが尺八は音を出さなければならない」ということです。
これが心から実感しますと、あとは吹奏理論をたどっていけばよいのでした。
○何をしようが、尺八は音をださなければならない。
→顔をしかめた状態でも音が出るようにする。
→それは「尺八吹奏法U」の口笛練習法が有効・
即ち、口笛を吹いている時の息の出口で尺八を吹く。
→今までよりも右側に寄った(口笛と同じ)隙間から息を出す
※これを何十時間も何百時間も練習する。
やっと口笛と同じ息の出口で吹けるようになったとき、もう顔をしかめようが何をしようが、音はしっかり出ます。
スランプ脱出の始まりです。
次に、この吹き方で今まで以上の良い音色の獲得が課題です。いまだこの過程で努力している最中です。
しかし、光明は見えてきました。
去年までは11月が来ると寒さが怖いので唇保護の為にマスクをしていました。しかし竹山はマスクをして冬の尺八の門付けは
決してしなかったはずです。
文章ではわかりにくいので、下の図を参考にしてください。
翻って考えますと、口の周りの筋肉の劣化によってアンブシュアが不安定になるのは仕方のないことです。私は口笛と竹山の
伝記「津軽三味線ひとり 旅」によってこのスランプを乗り切っていますが、普通はどうでしょう。
太い地無し管を自分の課題にしていると、もうスランプと戦うしかないのですが、軽く 鳴る尺八に替えるという方法もあるかも
しれません。
数年前まで「女性用、高齢者用」尺八という比較的鳴りやすい尺八に対して「尺八は一つだ!」と反論していましたが、
これは私の間違いでした。私 のように戦うのも一つの手ですが、アンブシュアに負担のかからない楽な尺八で老後の竹人生を
楽しむというのもすばらしいことだと思います。若気の至りとは 言え反省しきりです。
恥ずかしいながら、拙いスランプ克服の体験記でした。
お読みいただきありがとうございます。