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インターネット会報2014年1月号


素人の音楽修行-でこぼこ道や曲がりくねった道の連続
                                    貴志清一
『尺八吹奏法U』を書かせていただいた私のささやかな素人の尺八修行のたどってきた道のつづきです。
 音楽的才能ゼロの少年期から音楽環境に恵まれない中学校時代、それにもめげずブラスバンド一筋だった頃までを前回書かせていただきました。
 高校でもブラスバンド漬けの毎日でしたが、この時期に正しい腹式呼吸を体で覚えました。まだしぶとくトランペットを吹いていたのですが、同年のホルンの部員と何故か「腹式呼吸」の訓練をしようということになりました。その頃までは「腹式呼吸らしき」ことはやっていたのですが、この訓練で「腹式呼吸はこれだ」ということを体得しました。もちろん体得しても、その呼吸のレベルを上げるのは一生かかるのですが、それでもそれ以後、ずいぶん呼吸がスムーズになりました。
 訓練法はきわめて簡単で、
1.壁に両手をつけ
2.体を直角に倒して
3.腰の周りに息を入れて
4.腹圧をかけながら息を静かに吐く
 これだけのことです。
 初めは3の腰の周りに息を入れる感覚がつかめませんでしたが、何百回、何千回と呼吸を続けているうちに「この感覚だ!」ということを体得しました。
 この方法は特別の才能は要らない訓練です。ただ根気と「腹式呼吸を習得しよう」という熱意さえあれば誰でも可能です。
『尺八吹奏法U』の初めに書いている方法がこれです。

 さて腹式呼吸の習得はその後の管楽器演奏の大きな基礎になったのですが、もともと歯並びも悪く運動選手のようには体格に恵まれていませんでしたので、トランペットというパワーの要る楽器に限界を感じ始めました。一大決心をしてフルートに転向したのが高校2年のときでした。
 まず木管楽器特有の難しい指遣い、そして何よりも「音を出す」ことを一から始めなければなりません。来る日も来る日もロングトーンと運指の練習。必死にしたおかげでブラスの曲ならなんとか演奏できるようになりました。しかし、我流ということで音色も悪く、良い音を獲得する基礎になる「良い楽器」も入手不可能でした。楽器はヤマハの一番安いものを使っていました。
 それでも吹くことが好きでしたから自己流でフルート三昧の日々でした。
 そうこうしているうちに時間は容赦なく経っていきます。留年は免れて何とか高3になったのですが、「進路」ですね。これから自分の進む道はどうするのか、ということです。学業に身を入れてはこなかったのと青年期特有の"誇大妄想"で、あろうことか「フルーティストになる」という選択をしました。自分が見えない時期とはいえ、実現の可能性は限りなくゼロに近いものです。
 地方都市の楽器屋さんへ行き、フルートの個人レッスンを受け始めました。不幸なことに、その先生は某教育大学の音楽科のフルート学生で「職業としてのフルーティスト」のレベルがどんなものかを知らない人でした。高2でフルートを始めて1,2年。しかも少し難しい練習曲など吹けない高校生が、
「音楽大学、できたら公立の音楽大学に行きたいのです」と真顔で心情を訴えているのですから、普通は「それは無理だろう」と言うのが常識ですね。しかし、その先生は「しっかり頑張りましょう」という言葉でした。
 また、入試にはピアノ演奏も要るということで、中学の時に挫折したピアノも若い先生のレッスンを受けるようになりました。ここでも不運がつづき「ピアノと、それから聴音も教えましょう」と、私のフルートのレベルが如何に低いかということも確かめないで、レッスンだけ進んでいきました。
 40年以上経った今でも、この無責任な、物事を曖昧にして若い人をダメにする大人達には憤りを押さえることができません。
 将来のある若い人には、はっきりと物を言ってあげなければなりません。物事を曖昧にして、結局若い人たちをダメにしてしまってはいけないのです。
 さすがに世の中を知らない私でも高3になったとき、「フルーティストの道は大丈夫なのか」と不安になってきました。
 そこで、知り合いの人を頼って実際に演奏家として活動しているフルーティストにアドバイスを受けることになりました。その頃、大阪フィルハーモニー交響楽団主席フルート奏者でいらっしゃった橋成典先生です。お住まいは大阪の高槻市で、さすがに心配もあってか父が一緒に行ってくれました。
 気さくな方で初めて会う地方都市から出てきた高校生に対しても丁寧に応対してくれました。
 私の音楽大学進学希望を話しますと、「まず、何か吹いてごらん」とのこと。私が練習曲の一つを吹出しましたが、最後まで吹くまでに遮り、お話しが始まりました。
「先生はどういう人ですか。」という問いに、私がこうこう、こういう人です、と答えると橋先生は怒りを露わにして、
「まず、楽器。その楽器について先生は何もいわないの?」
(たしか、東京出身で関東弁でした)
 練習用の安価な楽器で音楽大学受験をさせるという、とんでもない非常識な私の習っている先生にたいする怒りで、私自身が叱られているように思われました。そして、
「もう、遅いよ。君の志望校は○○音高の(上手な)子も受けるし、今年落ちた○○君も受ける、また他の上手な子も受験する・・・」
 そして、私の未熟な音色・技術・表現力、どれをとっても音楽大学に入る前に習得していなければならないことが"できてない"とのこと。
「ただし、万一君に才能があったとして(仮定して)、たとえば、普通の大学へ入ってから、私の所へ習いに来て、もし上達すれば演奏家にはなれるはずだ。君は男の子だから(自分で生活していかなければならないのだから)普通の大学を受験しなさい。フルートはそれからのことだ。」
 それから40余年たちますが、いまだにその時の様子が目に浮かびます。
 ひとしきりお話しを伺って、お暇するときにもまだ"私のフルートの先生のいい加減さ"に対して怒りが収まらない様子でした。
 すなわち、いい加減なことを言い、いい加減なことをしてまだ世の中のことが分からない将来のある若者の道を誤らすことに対する"怒り"です。
 橋先生にとって、私はたった一回ほんの15分ほど会った高校生にしかすぎませんが、私にとっては人生の恩人とでも言える存在なのです。
 もちろん、その後フルーティストの道はきっぱりと捨て、レッスンも止めてしまいました。ただ、勉学はいい加減にしてきましたので、結局、1年浪人し地方大学に入学することになりました。
 入学後は学生オーケストラでフルートを吹いていましたが、高校時代のフルートへの情熱は冷めてしまっていました。
 フルートは私にとって、人生の「でこぼこ道、曲がりくねった道」そのものでした。
 その頃を思い出す度にいつも心の中で「橋先生、ありがとうございました」と言っています。

 尺八修行のことを書くつもりでしたが、尺八を吹いてきた35年間のいろいろな回り道等は別の機会に譲りたいと思います。

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