インターネット会報2011年10月号
一乗谷朝倉氏遺跡に義景遺愛の一節切を訪ねて
Eメールによる“尺八の悩み”相談を始めます(担当:貴志、無料)
貴志清一
古管の一節切としては有名な朝倉義景遺愛の一管が20年ぶりに公開されているということを知ったのが展示終了の4,5日前です。さっそく一節切研究家として著名な 相良保之先生にお問い合わせさせていただきました。先生もよくご存じのものですが、実物は未見とのこと。詳しい解説が「芸能の科学33」に掲載されていることを教えていただきました。
もう440年ほど昔のことですが、全国統一を目指す、何かに憑かれたような織田信長に越前(福井)の戦国大名・朝倉義景が滅ぼされます。すなわち攻められて自害します。1573年のことです。朝倉敏景以来、越前一乗谷で百年もの間繁栄した城下町は三日三晩焼き尽くされたといいます。その後、越前の支配を任された柴田勝家は谷間の一乗谷ではなく、北の庄に拠ります。一乗谷は完全に放棄され、以後400年間土に埋もれて来ました。発掘が始まり昭和46年に国の特別史跡に指定されるほど注目されてきました。
勝者の記録である「信長記」などを見ますと「義景は遊興に耽って領国を治められなかったので滅ぼされた」とありますが、どうでしょう? 滅ぼされた人間は後世への発言権を持ちませんので、私などは常に「本当のところはどうだったんのだろう?」と思うようにしています。
ともあれ、1573年に滅んだ一乗谷の朝倉氏城下町ですが、その発掘品の中に黒くなった一節切の断片が資料館に展示されていました。土中に残るくらいに一節切尺八が流行していたことを暗示します。
教科書などで歴史を勉強しますと、例えば「戦国時代=下克上時代=戦いばかりやっていた」という風に考えてしまいます。そんな中で「一節切が流行していた」ということが書かれていますと「えっ、戦国時代、尺八を吹く余裕なんかあったん?」と驚いたりします。
しかし、驚くことはありません。例えば山口の大内氏の領国支配は安定していて「ここなら平和に暮らせる」と応仁の乱を避けて貴族・僧侶・芸能者が京からたくさん下っていきました。
越前朝倉氏の一乗谷も滅ぼされるまでは比較的安定していて、文芸・芸能も盛んでした。そして殿様:朝倉義景自身も連歌もよみ、一節切も愛好しました。1573年、信長軍に攻められ「もうこれまで」と分かったとき、4歳になる嫡子・愛王丸(一乗谷朝倉氏遺跡資料館の古文書では愛至丸とあり気になりましたが)に小刀と一節切を形見に与えて落ちのびさせました。残念ながらその愛王丸も追っ手につかまり幼い命をうばわれました。
それにしても、小刀は分かるのですが、騒然としたなかで、一節切を形見に愛児に与えるというのはどうでしょう。何かそこに芸能を愛した義景の気持ちが見て取れます。
写真で見るのではなく資料館の実物の一節切を前にしたとき、思い入れ過ぎはあまり好きではありませんが、何か一瞬「人間の運命」というのが頭をよぎったような気がしました。
実は、朝倉義景が遺愛の一節切ということで、江戸時代に入る前の一節切の形状、とくに歌口の舌面を見にわざわざ来たのです。「さて」ということで単眼鏡(マグニファイアー)を取り出しピントを合わせて歌口の舌面を観察しました。やはり伝北条幻庵の一節切や伝一休の一節切のように、舌面が6,7mmほどでした。私の持っている、おそらく江戸前期の「如山」銘・一節切の舌面10mmのものとは全然違うと言うことが分かりました。
相良先生所持の大森宗勲の一節切も吹かせていただいたことがありますが、私の一節切のほうが舌面が広い・長いのです。
先生の音は音量は普通ですが、素朴な中にも芯のある良い音がします。翻って私のは「ベェ〜〜」という、音も大きいし鳴りやすいのですが、何か品の無い音がします。
今まで、この「ベェ〜〜〜」という品の無い音は自分の吹き方の未熟によると思っていました。しかし、「もしや?、舌面の長さが原因?」ということで参考文献の一節切計測図ではなく、実際にいろんな実例をこの目で見てみようということで急遽でかけたわけです。
もちろん、ガラス越しの展示品ですので吹いてみることはできませんでしたが、江戸時代前の一節切の標準というのがあるように思われました。
その理解が得られただけでも大阪から北陸トンネルを抜けて越前まで来た甲斐があったかなと思いました。
さて、ここからは私がド素人の仮説として考えてみたことです。学術的な裏付けがまったくないことをご承知ください。即ち、
江戸時代になり社会が安定してたくさんの人々が芸能を楽しめる余裕がでてきました。江戸初期の「遊興図」を見ても、一節切が登場します。もちろん三味線の合わせて吹いている一節切の吹き手もいます。三味線や何やかやに合わせていると、音量がほしくなります。もともと1500年頃に連歌師の宗長が編集した「閑吟集」の小歌等は一節切の伴奏でも歌われました。宗長自身、頓阿弥作の一節切という名管も持っていました。記録には有りませんが宗長が師の宗祇と1478年に越前一乗谷の朝倉氏のもとへ寄り、何ヶ月か滞在した折り、おそらく連歌の会の後の宴会で一節切も吹いたことでしょう。この場合、歌に合わせて吹くのですから、さほど音量は要らないでしょう。
また、100年下って1600年頃に隆達節が流行ったのですが、これも一節切で伴奏されることがありました。残念ながら今はどういう訳か、ボストン美術館にある「君が代屏風」の左下に若者が宴会場の縁側で一節切を吹いています。もちろん左右には隆達自身の筆で隆達節の歌詞が書かれています。まあ、乱痴気騒ぎもあったであろう宴会場で吹くのですから、音色よりは音量、そして音も媚びを売ったような音色になっていったのかも知れません。
その、挙げ句の果てが、私の所持している一節切末期の楽器かもしれません。私の一節切「如山」は、本当に良く鳴りますし、吹きやすいです。反面音色が何回も言いますが、「ベェ〜〜〜」という竹です。
一節切の書物で一番古いと確認される「短笛秘伝抄」(1608刊)には一節切の本曲「手」のみたくさん収録されていますが、流行歌はありません。ところが1664年の「糸竹初心集」には、まず「吉野の山」「菅笠節」「海道下り」等の流行歌の一節切楽譜(フホウエヤ)があり、後半で本曲である「手」の曲が載っています。
もう、根拠のない想像ですが、そして、これから正誤に関わらず根拠を見つけていかなければいけないのですが、それは「一節切は音量を求めだして、音色が悪くなり、本曲「手」を忘れていったから滅んだ」ということです。
寛文9年(1669)に「洞簫曲」という一節切本曲の解説書+本曲集が出版されています。その序文に、
「宗勲、曲をただし妙をあらわす、是ぞ道をひろむるはじめならん、・・・、されど、さみせんこうたのよせものとなりて、ふかきあぢはひあることをしらず、ここに村田宗清といふもの、すきて世になるあり、今此みちのすたるるをなげきて、洞簫の曲あることをしるす、・・」
(訳してみますと)
「織田信長に仕えていたといわれる大森宗勲が、一節切の本曲をきちんと整理して素晴らしい演奏をした。これこそ一節切の道を広めた最初である。・・・、ところが、一節切がだんだん三味線や小歌の伴奏をして、その付属物のようになってしまった。(1669年時点で)。世の中の人は一節切の本曲「手」が深い味わいのあるものだということを知らない。ここに村田宗清という者がある。この者は(私は)一節切の愛好者で(世になる?)者がいる。この一節切の本曲の道が廃れるのを嘆いて、「一節切には本曲があるのだ」ということを書きます。」
ここには、私の言うような「音色の変化」は述べられていませんが、確実に1600年代中頃以降、一節切の「本曲」が衰退していってる様子が分かります。尺八奏者としての私の直感でしかないのですが、この時期の一節切の音色が歌口の舌面改良(改悪?)によって薄っぺらいものになってゆき、とても深みのある一節切の「本曲」が吹けなくなったような気がします。そして1700年を過ぎますと、一節切自体が廃れていきました。「蘭学事始」にあるとおり、「前野良沢という人は、風変わりな者で、今は誰も吹かない一節切を練習している!」という状況になりました。
この一節切の衰退と反比例して「本曲専門」とも言うべき普化尺八が隆盛します。
もうこれは素人の妄想みたいなものですが、「音色の悪化した一節切」よりはまだ未熟だけどほのぼのとした味わいのある(勿論地無し管!)普化尺八の方を人々が愛好しだした、と私は思っています。
これをもって、現代の状況に安易に当てはめることは危険なのですが、舞台での音量、吹き易さ、音程の安定を求めて明治後半より地塗り管が登場します。そして既に100年。地塗り尺八も改良(改悪?)を重ね、少々のホールでも音量だけは出る楽器ができてきました。
地無しの尺八を吹いた人には分かるのですが、地無し尺八は馬鹿でかい音量はでないし、吹きにくい、音程も安定しない、しかし出る音は心に染みいるような味わいがあります。私の吹料のように中のゴロ節を残していると、より一層音色に味わいが出ます。
しかし、今回りを見渡してみますと、尺八はほとんど地塗り管です。また、古管の地無しで立派な造りなら、たとえば「古鏡」などは、とても一般の愛好家の手に入るものではありません。
こういう今の状況ですが、尺八愛好家の半分くらいは地無し尺八の音色志向になってもらいたいと考えます。そのためには、きちんとした作りの地無し管を製作できる製管師さんがもっともっと必要です。みっともないくらいに指孔の大きな地無しではなく、もっと自然な地無し管がたくさんほしいですね。
地塗り管の主要な仕事の合間に「自分の勉強のために」地無し管を作り続けてきた大阪豊中市の河野玉水初代、二代、そして、幸いにも、現代の三代目さんも製作されています。何度か書きましたが、私の一尺八寸地無しゴロ節ありは二代目さんの作です。手にして3年になりますが、まだまだ作者の意図した音には近づけません。しかし、地無し管は難しいですが、ほんとうに吹いていて心地よいです。自然な竹の響きの中に包まれる感じがします。
玉水工房には外国の尺八愛好家も方もよく見えられるようですが、二代目さんが私に語ったことで「外国の人はまるで筒の中も見ないで、いきなり目の前のたくさんの竹を吹いてみて、持って帰るのはきまって地無し管。どういうわけなんかなあ。」という言葉が印象に残っています。そんなとき私は「音色です。やっぱりわかるんですよ。竹の本質は吹き易さや、音量ではないんとちゃ(違)いますか」とか、そんな返事をしました。
尺八は音色なのです。賛成してくれる人が誰もいなくても、私は強調します。「尺八の本質は音色」です。
地塗り管でビュービュー吹いて、5つ以上の指孔をあけて、そぐわない西洋クラシックなどばかりを演奏していれば、そのうちフルートに完全にとってかわられます。丁度、音量、吹き易さを求めた一節切が1700年を境にして結局絶滅したように、地塗り管だけでは尺八は結局絶滅するかもしれません。
尺八が大好きな私としては尺八の絶滅は見たくありませんので、あえて地無し尺八の重要性を強調したいと思います。
誤解のないように申し添えますが、「地塗り管は尺八の敵だ」と言っているのではありません。地塗り管は、それなりに時代の要求に応えて発達してきたものです。私も含めて、今の人間は「今」の多様な音楽環境に生きていますから地塗り管、多孔尺八でなければ表現できない曲もあります。
私も偶にある演奏会では「春の海」を吹きますし、フルートで吹けば?と思う「雨の水前寺」も演奏します。もちろん地塗り管です。それはそれで、また別の感興のあるいい曲だと思っています。
理想的には、一人の奏者がバランスを取って、地無し管も愛好するし、地塗り管で華麗に吹くこともできるのがよいかなと思います。
重ねて言いますが、地塗り管を追放するのではなく、地無し・地塗りのそれぞれの長所を十分認識していくことが必要なのです。
さて、以上の一連のことを深く考える機会を、今回の朝倉義景遺愛の一節切が与えてくれました。このような企画をしていただいた一乗谷朝倉氏遺跡資料館の関係者の方々に感謝する次第です。
また、当日お忙しいにも関わらず、いろいろとご教示いただきました資料館学芸員の 藤田若菜氏には心より御礼申し上げます。
【お知らせ】
Eメールによる“尺八の悩み”相談を始めます(担当:貴志、無料)
いつも尺八吹奏研究会の会報をお読みいただき、ありがとうございます。
本会も1995年に発足して以来16年すぎました。その間、尺八の合理的な吹奏法や尺八の歴史、音楽一般につきましてたくさんの方よりご教示いただきました。それに引き替え、私の方は自分の考えを一方的に書き散らすということで、申し訳ありませんでした。
その反省の意味を込めまして、情報機器には苦手なのですが、メールによる“尺八の悩み”相談を始めてみようと思います。
今、尺八を始めたいと思ってらっしゃる方々には、きちんとした情報が必要です。どんな流派があり、どんな曲を得意としているか。尺八の値段。初心者の心得等々です。こういうことは“誰かが、きちんと言ってあげなければならない”と思います。
また、独学で練習していらっしゃる方は、時には吹奏上の悩みが多いと思います。そして勿論上手な演奏家の方も、技術の情報交換に使って頂けると思います。
どんな質問でもいいです。「尺八を見たことがありませんが、どこにいけば見れますか」でもいいです。また高度な「玉音を使うところで、乙音と甲音では口腔内の様子がどう違いますか」という技術的なことでもいいです。もちろん、今まで通り、ハガキ等によるご質問も歓迎いたします。
ご質問希望者はローマ字のxxxを@(半角)に変えて、ご送信ください。 kiyosanxxxdune.ocn.ne.jp
○ご質問に対して、順次回答させていただきます。
○ご質問者、内容等の情報は保護いたします。
○非難・中傷のメールは無視させていただきます。
○中傷・妨害等により、継続できなくなったときは中止させていただきます。
(この場合、最新の尺八吹奏研究会HPにてお知らせいたします)
それでは、よろしくお願いいたします。
【お知らせ2】
ご案内申し上げます。 尺八吹奏研究会第28回
尺八演奏会と個人講習会
出演 尺八:貴志清一 ギター伴奏:大脇健五
日時 :2011年11月6日(日)
場所:大阪府泉佐野ふるさと町屋館(市文化財)南海本線泉佐野駅より徒歩5分
尺八演奏会1:00〜2:00
地無し尺八による演奏・琴古流本曲 「夕暮の曲」他
尺八・ギター・・・「子守唄メドレー」「乾杯」他
尺八個人講習会 2:00〜5:00
○尺八を修得する過程で、いろいろな吹奏上の問題に出会います。それらにつきまして、1時間ですが実技を通して一緒に解決していきます。
吹料の特性、初歩での心得、効率的な腹式呼吸、アンブシュア、ムラ息等々・3名募集です。(先着順にて締め切らせていただきます。)
○参加費 尺八演奏会 無料(要:入場整理券)
個人講習会 4、000円
○申し込み法
ハガキに「28回演奏会希望」
または、「28回演奏会・講習会希望」と明記し 住所・ご氏名・番号、御参加人数をお書きの上、下記までお申し込みください。
折り返し入場券(地図付)をお送りいたします。
(講習会ご希望の方へは、参加可能の有無、可能な場合は要項をお送りさせていただきます。)
○宛先〒590ー0531泉南市岡田2ー190貴志清一
【ご案内】
「尺八吹奏法U」ご注文の節は、
邦楽ジャーナル通販 商品コード5241、http://hj-how.com
(送料別途)
「尺八吹奏法(運指編)」(1,000円)のご注文はハガキにて下記へお申し込みください。